企業は「情報」を発信するだけでは届かない…御社の「採用サイト」が見向きもされない理由
僕なりにコンテンツを定義するなら「何かしら心が動くもの」です。映画、音楽、マンガ、小説……これらは言うまでもなく、喜怒哀楽などの「感情が動くもの」なので「コンテンツ」です。例を出してみましょう。 次の内容は「情報」です。株式会社インターネットという会社を設立した。事業内容は通信インフラの整備だ。 次の内容は「コンテンツ」です。私は東日本大震災を岩手県で経験しました。地震発生後はしばらくインターネットが使えなくなり、普段オンラインで人とつながれたり情報が得られたりすることのありがたみを感じたのです。それがきっかけで、通信インフラを整備する会社「株式会社インターネット」を立ち上げました。
両者を読み比べて、コンテンツのほうは「ああ、そういう思いでやってるんだな」と心が動いたはずです。とにかく何かしら心が動けばコンテンツになりうるのです。 ■驚きのある情報やデータはコンテンツ ちなみにコンテンツにするためには、エモいエピソードや表現は必須なのでしょうか? 僕は数字が並んでいるただのデータであっても「そうなのか!」と心が動くならコンテンツと呼んでいいのではないかと考えています。 2024年の初めに「スノーピークの2023年12月期連結決算は、純利益が前期比の99.9%減の100万円だった」というニュースが出ました。これはただのデータかもしれませんが、驚いたり、思うところがあったりする人は多かったはずです。こういう驚きのある情報やデータはコンテンツと呼んでも良さそうです。
逆に小説を書いたとしても、その文章によって誰の心も動かないのであればコンテンツではないということです。小説でも何でもないはちゃめちゃな文章でも、誰かの心を動かせたらそれはコンテンツです。コンテンツになり得るかどうかは「感情が生まれるかどうか」が分岐点。この本では、「何かしら心が動くもの」をコンテンツと定義して、話を進めていきたいと思います。 ■「情報化社会」から「コンテンツ化社会」へ やや感覚的な話になりますが、これから世界はますます「コンテンツ化」していくと思っています。「映画や漫画などのコンテンツが増えていく」と言いたいわけではありません。「世界自体がコンテンツ化していく」ということです。世界のあらゆるものごとが感情を動かすコンテンツになっていくのではないか。