謎多きニューヨーク最古の未解決事件、失踪した令嬢の親族が1世紀ぶりに新たな証言
1910年に買い物に出たまま行方不明のドロシー・アーノルド、一体何が?
1910年12月の凍てつく月曜日の朝、25歳の令嬢ドロシー・アーノルドは、米ニューヨーク、アッパー・イーストサイドの邸宅から買い物に出かけた。 【関連写真】ドロシー・アーノルドの別の写真も、事件を報じた当時の紙面 アーノルド家は1620年のメイフラワー号まで遡る古いルーツを持ち、家柄の良い、裕福な一族だ。ドロシーはこの家の長女で、フィラデルフィアのブリンマー大学の文学部を卒業したばかりだった。性格は明るく、外出の際には常に多額の現金を持ち歩き、最新のニューヨーク・ファッションに身を包んでいた。 その日の外出の目的も、妹のマージョリーが社交界デビューを飾る舞踏会に着るドレスを買うことだった。ドロシーは途中、父親のつけで本とチョコレートを買い、午後2時前に27丁目と5番街の角で偶然友人と出会い、ひとしきりおしゃべりに花を咲かせた。 ちなみにこのとき、友人には母親と一緒に買い物に来ていると言っていたが、母親には1人で買い物をしたいと言って出てきていた。そしてセントラルパークを散歩しながら帰ると言って友人に別れを告げ、永遠に姿を消した。 以来、ドロシー・ハリエット・カミーユ・アーノルドのセンセーショナルな失踪は、ニューヨークで最も古い失踪事件として、警察や市民を不思議がらせている。 いや、最も不思議に感じているのはおそらく彼女の親族だろう。事件を知っているアーノルド家の人々は、ずっとドロシーについてあまり語りたがらなかった。ドロシーの失踪から5年後に生まれた姪のレベッカは、知られている限り、事件について話したことは一度もなかったし、1世紀以上にわたり親族から公的な声明も出されていない。 だが、レベッカの娘のジェーン・ボルマー氏らが今回、重い口を開いた。その言葉を紹介する前に、まずはこれまで知られていることをおさらいしておこう。
家族にも「心当たりのない」失踪
アーノルド家の人々がドロシーの異変に気付いたのは、夕食の時間になっても帰ってこなかったときだった。その夜、一家は彼女の友人たちに電話をかけまくり、翌朝ただちに弁護士とピンカートン社の私立探偵を雇った。 だが、父親のフランシス・ローズ・アーノルドがニューヨーク市警に通報したのは、6週間後、私立探偵による捜索が空振りに終わった1911年1月25日のことだった。 フランシスは同じ日に記者会見を開き、ドロシーの特徴を「身長162cm、体重64kg、くるぶし丈の紺色のドレスを着て、髪を大きくふくらませ、ベルベットの帽子をかぶった、美しくスタイリッシュな女性」と説明し、居場所の特定につながる情報には1000ドル(現在の500万円強)という破格の謝礼金を約束した。 翌日、ドロシー・アーノルドの失踪はニューヨーク・タイムズ紙の一面を飾った。新聞は、父親は「悲しみと心配に打ちひしがれ」、母親は「神経が崩壊する寸前」であるが、警察としては、ドロシーは犯罪に巻き込まれたり自殺したりしたのではなく、男性と駆け落ちしたのだろうと考えていると報じた。そして、「アーノルド嬢は若い男性たちの憧れの的であったが、親族による昨夜の会見によれば、婚約したことは一度もない」と解説した。 家族が本当のところを知っていたかどうかは今となっては分からない。だが、ドロシーにはたくさんの秘密があった。それらはやがてマスコミに嗅ぎつけられることになる。