「物語」の気持ちよさに「酔いしれる」キケン…実は勇気が必要な「他人を理解しない」選択
物語化「しない」勇気
グエンはこう言う。 明晰さの誘惑に対抗するには……新たな逆ヒューリスティック※1を開発する必要がある。明晰さの感覚は、認知的な砂糖のようなものである。かつては、明晰さの感覚を疑問を打ち切るシグナルとして用いることは、良いことであり、有用なヒューリスティックであったかもしれない。しかし、今や私たちは、私たちのヒューリスティックを悪用するように設計された、魅力的な明晰さに囲まれた環境で暮らしている。私たちは今、あまりにも甘美に、あまりにも楽に、あまりにもすべてをうまく説明してしまうような考えやシステムに対しては、疑いの目を向けるように訓練する必要がある。あまりにも明快に感じられる思考体系は、私たちの調査努力を終わらせるのではなく、むしろそれを強化すべきである。私たちは、明快さの誘惑を感覚的に認識する方法を学ばなければならない。(Nguyen 2021, 251) 物語的不正義を回避し、物語的徳を実践するためには、物語化しない勇気の徳、あるいは、想像力の徳も求められる。 物語化はしばしば他人の理解をもたらすものとして賞賛されるが、しばしば他人の安易なパターン化に堕落していく。理解できないことを無理に「理解しようとしない」勇気や、物語に還元できない断片的な声を「断片のまま」受容する想像力が、物語的不正義を抑止する新たな美徳となるだろう。 私たちは、自己語りや他人語りにおいて、物語から離れて、不可解なまま存在する相手を尊重する、新しい倫理的態度を作り出さなければならない。 自己語りも、他者語りも、過去と向き合う一種の歴史的語りであり、その質は改訂や対話、批判によって大きく左右される。 物語的不正義を避け、物語的徳を身につけるには、他者を含む共同的な再考の場を設け、多元的な過去を確保する努力が欠かせない。 ※1 Heuristic. 経験則や先入観に基づいて、直感的に、ある程度正解に近いように見える答えを見つけ出す思考法。そこで出た答えが最適解であるとは限らない。例えば、「医師推奨!」と書いてあれば信用のおける商品だろう、と判断すること。逆ヒューリスティックは、私たちが普段用いているヒューリスティックに抵抗できるようなヒューリスティックを意味する。例えば、「医師推奨!」と書いてあれば怪しい、と判断しようとすること。 >>物語の危うさについてさらに知りたい方は、「面接にも広告にも…「人生は物語」に感じる違和感の正体!「ナラティブ」過剰の問題」もぜひお読みください。