離党した比例選出議員を辞職させて良いのか? 品田裕・神戸大学大学院教授
視点2 離党を認める事で、議員の良心を貫くことができる?
スキャンダルや失言で追放される議員に同情する人は少ないが、政策上の信念をたった一人になっても貫き、党執行部と戦うことになった議員がいれば、応援したい。たとえば、党の政策が間違っていることに気がついたから諫言したとか、党内の勢力争いで党の政策が変わったことを潔よしとせず、新執行部に反抗したといった場合だ。もし、規制を強化して、除名であれ、何であれ、党を離れた議員を失職させることにしたとすると、政党の執行部は強硬な反対派を除名処分にするであろう。もしくは、除名にするぞと脅すであろう。政策的に対立しただけで、こんなサムライを失職させて良いのか。 もっともな意見であるが、反論も可能だ。有権者が選んだのは政党である。政党は総力を挙げて熾烈な政党間競争をしている。有権者がその党を選んだのは、競争に勝たせるためである。競争に勝つという観点からは、たとえ一票でも一議席でも惜しい。いくら立派な人であっても、政党間の競争の足を引っ張るのはやめてもらいたい。内輪もめしている場合ではない。昔、「ベンチがあほやから」といって辞めた名投手がいた。その人の人気は上がったかもしれないが、それでもファンが選んだのは、長い目で見ればチームの方でしょう、チームが勝ち抜くためにはサムライが失職してもやむをえない。こんな議論も可能だ。 比例代表制は、戦前に欧州で普及した。長年、欧州では国家の中で民族や宗教や階級の異なるグループが対立抗争を繰り返してきたという背景がある。グループ間の暴力的な衝突をもうやめて、選挙でお互いの集団の大きさを尊重して競うことに変えようとしたのである。こういう社会では、比例代表制の下で政党を選ぶということに、重い意味がある。個々の議員の良心を抑えてでも政党に力を結集することはやむを得ないと考えられるのだ。 今の日本はどうか。歴史的に欧州のような集団間の分立と競争はない。その上に、現代では、政党から距離をとりたいという無党派も多い。この状況で「政党を選ぶ」ということの意味はどこにあるのだろう。確かに、現代の日本においても、ある政党に愛着を持ち、政策が変わろうが党首が代わろうが、その党が好きだという人も少なくないだろう。しかし、他方で、「政策」に注目して党を選ぶ人や、「政権担当能力」で選ぶという人もいる。こういう「自分の頭で考えてベストの党の候補を選ぶ」投票者は、政党を強化するより、選挙時の政策を貫く議員を擁護することを好むに違いない。 政党を勝たせたい、そのためにガバナンスを強化したいならチームの和を乱すサムライはいらないが、自分の選んだ政策を政党に実行させたいのならサムライが意地を貫く余地を残す、どちらをとるかは有権者次第だ。