愛すべきマイペース、寛一郎「もうこの仕事、やりたくないと思ったことは何度もあります」
以前は人を受け入れるのがあまり得意ではなかった
── そこまで考えて演じた孝二郎が、いよいよ公開となりますが、『シサム』で孝二郎という役柄を演じたことで、新たな気づきや変化はありました? 寛一郎 たくさんあります! 歴史的背景がそうさせるのかもしれませんが、アイヌの人たちって、他者を受け入れる間口が広いんです。それに、自然と共存してきたという背景もあります。僕はもともと排他的──というと少し大げさかもしれませんが、人を受け入れるのがあまり得意ではなくて。この仕事をするようになって、いろいろな方と出会い、仕事をさせていただくなかで、だんだんと克服できているのですが、この作品に出演させてもらったことで、人としての間口が広がったような気がします。 ── 「排他的」という部分、もう少し突っ込んでもいいですか(笑)。 寛一郎 思春期から20歳になるくらいまで、とにかく人と話したくない、なんかムカつくなという感情は常にありました。いや、ムカつくというのも違うかな。自分を抑え込んでいるから何も感じないというか……、怒ることもないし、悲しむことも、心から楽しめることもなくて。今、考えると、すべて自分への自信のなさゆえだったと思います。
── どうやって克服したんですか。このお仕事をしながら……? 寛一郎 いろいろな経験を経て、いろいろな視点から物事を見ることができるようになってきました。今回のように、主演をさせていただけることも大きいです。やるしかないというか、お芝居って、ある程度の共感性が表現できないと、見ている人には伝わらないと思うんです。そんな“感じる心”を大事にするようになったからかなあ。まああまり無理せず、自然体でいたいとは思っています。 ── デビューから8年──。主演の機会も増えていますが、今のご自分の姿は、デビューした頃、想像していました? 寛一郎 実際にデビューしてみて、自分が思い描いていたことと、異なる現実もありました。「辞める」ほどではなくても、「もうこの仕事、やりたくない」と思ったことは何度もあります。それは自分の立ち位置的なものではなく、ものづくりの厳しい現実にぶち当たってというか、上手に表現できなくてすみません。ただ、先ほどお伝えしたように、「間口が広くなった」ことで、仕事がしやすくなったという実感はあります。それは、周囲が変わったのではなく、自分が変わったからだと思っています。