「資源枯渇・高速道路の渋滞・核兵器所持」には人類のヤバすぎる心理が共通していた!…まさに人類の”醜さ”を表した「集団行動の問題点」
人種差別、経済格差、ジェンダーの不平等、不適切な発言への社会的制裁…。 世界ではいま、モラルに関する論争が過熱している。「遠い国のかわいそうな人たち」には限りなく優しいのに、ちょっと目立つ身近な他者は徹底的に叩き、モラルに反する著名人を厳しく罰する私たち。 【漫画】「しすぎたらバカになるぞ…」母の再婚相手から性的虐待を受けた女性が絶句 この分断が進む世界で、私たちはどのように「正しさ」と向き合うべきか? オランダ・ユトレヒト大学准教授であるハンノ・ザウアーが、歴史、進化生物学、統計学などのエビデンスを交えながら「善と悪」の本質をあぶりだす話題作『MORAL 善悪と道徳の人類史』(長谷川圭訳)が、日本でも刊行される。同書より、内容を一部抜粋・再編集してお届けする。 長谷川圭 高知大学卒業。ドイツ・イエナ大学修士課程修了(ドイツ語・英語の文法理論を専攻)。同大学講師を経て、翻訳家および日本語教師として独立。訳書に『10%起業』『邪悪に堕ちたGAFA』(以上、日経BP)、『GEのリーダーシップ』(光文社)、『ポール・ゲティの大富豪になる方法』(パンローリング)、『ラディカル・プロダクト・シンキング』(翔泳社)などがある。 『MORAL 善悪と道徳の人類史』 連載第15回 『「やるか、やられるか」の極限状態…自らの人生がかかった囚人のジレンマが暴く“合理的判断”の「最適解」』より続く
あらゆる場面に潜む「集団行動の問題点」
基本的な考え方がわかれば、あらゆる場面に囚人のジレンマが、要するに集団行動の問題点が潜んでいることに気づく。集団行動が抱える問題は、実際にあらゆる場面で確認できる。 一般的に広く知られている例として、天然資源の枯渇の問題を指摘できるだろう。この問題は、すでに18世紀にスコットランド人哲学者のデイヴィッド・ヒュームが予見し、ギャレット・ハーディンが考察してからは「コモンズの悲劇」として知られている。 米国人生態学者のハーディンは、特定の所有者に属さない牧草地や漁場などの天然資源は、そのキャパシティを超えて搾取される傾向があると説いた。そこを利用する者にとっては、ほかの利用者の行動―控えめか搾取的か―に関係なく、資源を過剰に利用することが個人の利にとっては最善の戦略だからだ。 この不正行為によりもたらされる利益は個人が享受する一方で、その犠牲は「外部化」され、残りの集団が被ることになる。 日常に散見される問題の多くは、集団行動の問題として分析が可能だ。高速道路の渋滞の多くは、事故車を一目見ようとして減速する野次馬によって引き起こされる。一人が減速すると、後続車も次々と減速せざるをえなくなる。芝生を横切ることは、個人にとっては近道となって有益かもしれない。しかし多くの人が同じことをすると、芝生が台無しになってしまう。
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