「奇跡のイルカ」解体惜しむ声 珠洲・さいはてのキャバレー壁画 津波直撃も原形保つ
●日本画家・古澤さん制作「記憶の中で希望感じて」 能登半島地震で損壊した「さいはてのキャバレー」(珠洲市飯田町)の壁画の取り壊しを惜しむ声が上がっている。飛翔するイルカが全面に描かれた壁画は、日展会員の日本画家・古澤洋子さん(金沢市)が画壇で地歩を築き始めた25年前に手掛けた。津波の直撃でキャバレーは全壊したものの、壁画は大きな損傷を免れた。地震から1年、今なお港に建つ「奇跡のイルカ」に、関係者は能登復興の思いを重ねている。 さいはてのキャバレーは飯田港近くにあり、かつては珠洲市と佐渡市を結ぶ定期船の待合室として使われた。定期船廃止後、2017年の奥能登国際芸術祭で作品として再生し、案内所やイベント会場として活用されてきた。 キャバレーでママを務めた坂本信子さん(55)=珠洲市=によると、津波の衝撃で建物内の物品は大半が壊れ、ガラスも散乱、冷蔵庫は佐渡島まで流された。芸術祭実行委員会は昨年6月、修繕を断念し、壁画を含む建物の解体撤去を決めた。 古澤さんはボランティア活動で被災地入りする中で壁画の状態が気になっていた。昨年3月、ようやく飯田町に立ち寄って確認すると、絵の下部に穴が空くなど傷みはみられたが、原形をとどめていることに安堵(あんど)したという。 この壁画は飯田町町内会連合会の泉谷信七会長が2000年、原画を基に古澤さんに制作を依頼。古澤さんは金沢美大時代の後輩の日本画家・新家康代さん(加賀市)の協力を得て、ビルの3階ほどの高さがある壁面に工事用の足場を組んで作業に取り掛かった。 壁画は日差しを浴びて能登の大海原を心地よさそうにジャンプする3頭のイルカが描かれている。制作時は8月の炎天下で、汗だくになりながら下図の描写やペンキ塗りを3日間かけて仕上げた。 港のシンボルとして四半世紀、地域に根付いてきた壁画。地震後は、東日本大震災で津波を乗り越えた「奇跡の一本松」になぞらえて「奇跡のイルカ」と呼ぶ人もいる。 古澤さんの元には「跳ぶイルカが未来へ進む被災者の姿と重なる」「地震に耐えた文化財として残してほしい」との声が寄せられている。坂本さんは「楽しい思い出がイルカの壁画に詰まっていて、なくなるのはさみしい」と声を落とす。 古澤さんは「壁画が今も現存していること自体が奇跡。解体となっても、記憶の中で希望を感じてもらえる存在になればうれしい」と話した。