<センバツ・平成の名場面>阪神大震災 希望絶やさず センバツ 平成の名場面
平成最後となるセンバツを前に、平成30年間の大会を名場面や主な出来事で振り返る。 【「若いっていいな 甲子園おめでとう」】 出場32校 喜びの表情を見る ◇甲子園のグラウンドにも亀裂 1995(平成7)年1月17日、阪神大震災が発生した。阪神甲子園球場のアルプススタンドは何十メートルもの長さでひび割れし、グラウンドには何本も亀裂が入った。第67回選抜高校野球大会を約2カ月後に控えていた。主催者の毎日新聞社と日本高校野球連盟は2月1日に予定していた選考委員会を延期し、被災状況を分析したうえで開催の可否を検討すると発表した。 被災地の首長らの同意を得て大会開催が正式決定したのは2月17日。選考委員会で例年通り32校を選出し、当初の予定通り3月25日開幕とした。一方で、選手、観客の輸送や余震での避難誘導を考慮、ナイターを極力避けるため原則1日3試合とし、会期を例年より1日長い11日間に変更した。 また、「災害復興に寄与する大会」を理念とし、大会期間中、外野フェンスに「復興・勇気・希望」のスローガンを掲出した。さらに▽鳴り物のない簡素な応援をする▽開閉会式で花火など華美な演出は避ける――など運営面でも被災者に配慮した。 ◇鳴り物禁止など運営面で配慮も 被災地の兵庫県から神港学園、育英、報徳学園の3校が出場した。震源地に近い育英は校舎が避難所となるなど困難に直面したが、3校すべて初戦を突破する健闘を見せた。 大会の入場者数は34万3000人で、前年を13万8000人下回った。しかし、未曽有の震災を乗り越え、平成のセンバツ史が途切れることはなかった。【大矢伸一】