不登校生が「アメリカ留学」を決意するまで 同時通訳者・田中慶子
黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「黒木瞳のあさナビ」(11月21日放送)に同時通訳者の田中慶子が出演。同時通訳者という職業について語った。
黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「黒木瞳のあさナビ」。11月20日(月)~11月24日(金)のゲストは同時通訳者の田中慶子。2日目は、アメリカに留学するまでの経緯について― 黒木)日本人はなぜか英語に苦手意識がありますよね。田中さんも自著『不登校の女子高生が日本トップクラスの同時通訳者になれた理由』のなかで、「日本人は英語のスキルを持っているにも関わらず、間違っていたらどうしようと思う人が多い」と書かれています。 田中)ありがとうございます。 黒木)不登校の話から伺いますが、「みんなと同じ」というのが好きではなかったのですか? 田中)不器用な人間なので、すべて納得しないとできないのです。日本では学校、もっと言えば保育園や幼稚園の段階から、「みんなでこれをやりましょう」という教え方をしますよね。私はそう言われることに対し、いちいち立ち止まって「どうしてやらなければならないのか」となってしまうような、不器用な子だったのです。 黒木)それはみんなが思うことですよね。「でも、みんながやっているからやらなくてはいけない」と、何も考えないようにして、みんなやっているのかも知れないですよね。 田中)そうかも知れませんね。でも、自分の納得できるペースでやっていると、「気付くと人と違うところに居る」というような子だったのです。 黒木)「なぜ勉強しなくてはいけないのかしら」ということで、不登校になってしまったのですね。 田中)そうですね。高校2年生のときに不登校になってしまいました。 黒木)そのときはどうなさっていたのですか? 田中)日中は家でずっと本を読んでいましたが、近くに演劇集団があったのです。演劇と言っても華やかな世界ではなく、社会問題について大人も学生もみんなで話し合って、一緒に演劇をつくるような地元のサークルです。そこに行くと大人もいるし同年代の子もいて、いろいろな人と議論するのが楽しかったのです。学校に行かず、昼はずっと本を読んでいて、夕方になると仕事や学校が終わった人たちが集まってくるので、いそいそとそこに行って議論していました。