「俺を馬鹿にしているのか!」でキレる大学教授の抱える「歪み」 他人を不幸にする「歪んだ幸せを求める人」とは
怒りや嫉妬で判断が歪む
ところで、さきほどの話の中で、どうして盗ったかもしれない何人かの顔が浮かんだのでしょうか。続きです。 「盗られたと思ったときにまず思い浮かんだのが先に帰った一つ年下のAでした。仕事の実力も学歴もあなたより下なのですが、愛想がいいのでみんなから好かれ、仕事もなぜか評価されています。そのため、あなたはいつもAに嫉妬していました。Aはそれに気が付いて、あなたにだけ意地悪をしてくるようにあなたは思っていたのです。だからまっさきにAが自分の傘を盗ったのだとあなたは強く疑ったのです。 またAだけが認められ、自分が認められないことに対して会社に強い不満を持っています。あなたはAのことを思い出したことで、ますます嫉妬心が強まってしまいました。そして自分はもっと出世すべきだ、上司は見る目がない、といった怒りもいっそうこみ上げてきたのです。そう感じると、あなたは、自分のデスクまで傘を取りに戻るのも面倒なので、他の人の傘を黙って使うくらいは問題ないと思いました」 自分の勘違いや思い込みで身近な相手に「怒りの歪み」や「嫉妬の歪み」をもち、不快になり、「自己愛の歪み」も強まり、そして「判断の歪み」につながると結果的に不適切な行動をしてしまうこともあります。 怒りや嫉妬心が生じる背景には、自分だけがもつ何らかのストーリーがあります。怒りや嫉妬の対象となるのは誰か、どんな状況か、によって、怒りや嫉妬が生じたり消えたり、程度が変わってきたりします。ですので、自分のもつストーリーをいかに見直して、怒りや嫉妬をコントロールできるかがポイントとなります。
年配大学教授の恥ずかしい振る舞い
もちろん怒りは勘違いでなくても生じます。馬鹿にされたと過敏に感じてしまうことで生じる怒りもあります。それは次のような例です。 コロナ禍の頃、大学入試の採点をしていたときのことです。昼の休憩時間になり、学内の食堂でみんなが昼食を摂っていましたが、まだコロナ禍が落ち着いていなかったこともあり、食堂には、パーテーションで区切られた場所で食べるように、との貼り紙がありました。 ほとんどの人たちはそれに従っていましたが、ある年配の男性教授が、テーブルで数人の仲間と話しながら食べているのが目に入りました。それを見た食堂の女性スタッフが注意すると、その教授は怒りだし、 「俺はここで食べる。俺の好きにする」 とその女性に向け大声をあげたのです。それに対し、その女性も顔を真っ赤にして、 「規則だから守ってください」 と返しました。 状況的にその教授に非があるのは間違いありません。マナー違反を注意されたと言えるでしょう。しかしその後、その教授も女性もお互いに引かず、二人は大声で罵り合いながら口論を続けていました。 その女性スタッフは仕事だから注意しているだけなのに、いい年した教授がなんと恥ずかしいことを、と思ったのは私だけではなかったと思います。それはマナー違反を注意されたことで生じた動物的な「怒りの歪み」なのです。 自分が本当に馬鹿にされたのなら怒りは真っ当なものでしょう。そんな場であっても怒りをグッと抑えることができたら人としての格が上がることもあります。 ただ実際に面と向かって馬鹿にされる体験など、ドラマの世界以外、みなさんも滅多にないことだと思います。しかし、ここで問題になっていて、みなさんの周囲でも頻繁に生じており、かつ厄介なのは、“自分を馬鹿にすることで、自分の価値を下げようとしたと過剰に感じた”がゆえに生じた怒りなのです。 この男性教授の例では、女性は単に注意しただけで、教授を馬鹿にしたり価値を下げようとしたりしたわけではありません。教授側に、“自分は偉いのだ、どうしてお前なんかに注意されるのか、馬鹿にしているのか”といった「怒りの歪み」があることが問題なのです。