<俳優生活40年>妹尾和夫 映画館の舞台で魅せられた蜷川幸雄の演出
日本大学に入学後、演劇部でトラックでの小道具運びなど運搬係を担当していた妹尾和夫。「いっぺん大学で演劇経験したろ」というノリで入部してからは、テレビ局へトラックを借りにいっては劇団の小道具を荷台に積んで運ぶ作業を繰り返し、自分が演じるとはまったく考えずに大学生活を楽しんでいた。しかし、1年生の終わりに見た、ある大物の演劇が妹尾和夫の人生を変えた。 <俳優生活40年>妹尾和夫「大学でいっぺん演劇部経験したろ」
チケット購入係で映画館前に並ぶ
1970年、妹尾は新宿の映画館でチケット販売の順番を待っていた。それは映画のチケットではない、その舞台を使って上演される「演劇」のチケットを求め並んでいたからだ。 並んだ芝居のタイトルは、劇団現代人劇場の「想い出の日本一萬年」。この演出を担当したのは、後に日本を代表する演出家となった蜷川幸雄だった。 妹尾はポスターに記載された蜷川という名前をみても「これってなんて読むの?むしがわ?」と感じる程度だった。しかし、200席のチケットを求め、見ただけで席の数以上の人が並ぶ人気ぶりに「いったいどんな芝居なのか」と感じていた。
「不条理演劇」に魅せられ、セリフの一つひとつが衝撃
午後9時に映画の上映が終わった舞台では、劇団の関係者らが大急ぎで演劇ができるよう準備を進められ午後10時に始まった。舞台では約50人もの俳優たちが、現代人の不条理性や不毛性を描く「不条理演劇」で観客を魅せた。 妹尾はしだいにその世界に引き込まれていった。約3時間にわたる上演だったが、俳優たちのセリフの一つひとつが衝撃で、身体に電撃が走ったような感じになった。大学に進学してから、チケットを並ぶ係をしながら東京都内で様々な演劇をみてきたが、ここまでの衝撃が走ることはなかった。 当時は知らなかったが、出演者は蟹江敬三、石橋蓮司、真山知子らが名を連ねていた。見事な演技、そしてライブ感の衝撃に、ずっと鳥肌がたっていたという。
終了後も興奮冷めずオールナイト喫茶で語り合う
上演終了は午前1時で電車もなく帰れない。しかし、妹尾は演劇を見て受けた感動から、しばらく興奮が冷めず、まったく帰る気になれなかった。 そして、一緒に演劇を見ていた大学の先輩ら6人とオールナイト喫茶へ。みんなでシーンの一つひとつについて、電車の始発が来るまで語り合った。 約4~5時間ほど、演劇の話が止まることはなかった。同時に妹尾は「いっぺん演劇経験したろ」「運搬係でも楽しく大学生活を過ごせたらええわ」という感覚は、どこかに飛んでしまっていた。 「演劇ってすごい。いいものができたらすごい、こんなに衝撃と感動を覚えるんだ。よし、俺もいいものを作るぞー」。蜷川幸雄の演出に魅せられたこの日は、現在の妹尾和夫につながる人生のターニングポイントとなったのだった。 ■妹尾和夫(せのお・かずお)1951年11月17日大阪市大正区生まれ。20代半ばから大阪を拠点にドラマ「部長刑事」「必殺シリーズ」「暴れん坊将軍」などに悪役で多数出演。現在、テレビ「せのぶら本舗」、ラジオ「とことん全力投球!!妹尾和夫です」(いずれもABC朝日放送)で活躍中。12月16、17両日に自らが主催する劇団パロディフライの本公演「コペルニクスさん家はおとなりです。」(梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ)に向け、全力で稽古、指導に取り組む。