西良典が語るプロレス入門前の武藤敬司。「ガッチャンガッチャンやられて強くなった」
高校を卒業して入ってきた武藤は西の7歳下。ふたりは時間があれば異種格闘技戦やプロレスごっこに興じていたという。 「柔道の帯をロープに、人をコーナー代わりに四方に立たせてやっていましたよ。俺が猪木だったら、武藤がアリをやったりしてね」 のちに新日本プロレスに入門すると、武藤は新弟子の誰もが根を上げる寝技のスパーリングに対して「怖くなかった」と驚きの発言をしている。なぜそんなことを口にできたかといえば、仙台で入学当初は寝技でぼろ雑巾のようにやられていたからにほかならない。 「武藤と同期で入ってきた早乙女という東海大柔道部出身者の寝技がムチャクチャ強かった。『たぶん日本一強いんじゃないか』と評判になるくらい。武藤は早乙女にガッチャンガッチャンやられて強くなったんですよ」 武藤は新日本プロレス入門前の82年、全日本ジュニア体重別選手権95kg級で3位になっている。 さらに西は「もう武藤は忘れていると思うけど」と前置きしたうえで、とんでもないエピソードを話し始めた。 「まだ武藤が19歳の頃、何かの拍子に仙台のチンピラと揉めたことがあったんですよ」 武藤は高校を卒業したばかりで見た目は紅顔の美少年だったが、腕に覚えはあった。西はその場にはいなかったが、武藤が攻勢に出ると、連中は『お前の学校に行くから覚悟しておけ』と捨て台詞を残して立ち去っていったという。 西は、拓殖大時代に切った張ったの類のトラブルは何度も経験している。キャバレーで大立ち回りを演じたときには、逆にそっちの筋から「兄さん、俺、こういう者だけど、ウチに来てくれないか」と声をかけられたほどだ。 武藤はまだ未成年だ。相談を受けた西は腹を括(くく)った。 「俺が代わりにやっちゃる」 柔道衣に袖を通し黒帯を締めた西は道場で襲撃を待ち構えた。ちょうどそのとき古武術をやっている達人も道場におり、事情を話すと、「だったら俺も一緒に待ってやるわ」と、日本刀を手にした。 「俺の刀で斬ってやる」 襲撃を待ち構える徒手空拳の武道家と日本刀を懐に差した古武術家。杜の都で起こった実話である。そのとき道場に張りつめた空気を想像しただけでもワクワクするではないか。80年代の格闘技界には、今とは全く違う種類の風が吹いていた。 「でも結局、連中は来なかったんですよね」 西は残念そうに事の顛末を口にした。 キックボクシングでは自分の体格に見合ったスパーリングパートナーがおらず練習相手はサンドバッグという環境だったので、なかなか結果を残せないでいた。それでも、西はまだ名前すらなかった総合格闘技の道を自覚なく突き進んでいた。 そうした矢先、仙台で産声をあげたばかりの大道塾に出会った。 (つづく) 文/布施鋼治