ホンダ初の小型乗用車「ホンダ1300」本田宗一郎氏がこだわったユニークな二重空冷(DDAC)エンジンは何が問題だったのか【歴史に残るクルマと技術036】
2輪車で始まったホンダの躍進
自転車用補助エンジンの製造から始まったホンダは、1949年に発売された本格的な2輪車「ドリームD型号」や、1958年にデビューし現在も世界中で愛用されている「スーパーカブ」が大ヒットし、2輪車メーカーとしての地盤を固めた。この勢いで、ホンダは世界ロードレースに参戦し、1961年に世界GPのマン島TTレースで優勝。1960年代には、2輪車で“世界のホンダ”と称されるまで上り詰めたのだ。 【画像ギャラリー】ホンダ130の詳しい情報を見る 1963年、ホンダ初の4輪車となった軽トラック「T360」と小型オープンカー「S500」で念願の4輪事業に進出。1968年に発売された軽乗用車「ホンダN360」は、低価格ながら高性能で、しかも居住性に優れたFF軽乗用車として歴史的な大ヒットを記録した。 一方で、1964年には4輪モータースポーツの頂点F1に挑戦し、翌1965年に純国産車F1マシンとして初めてメキシコGPで優勝するという快挙を成し遂げたのだ。
ホンダ初の小型乗用車はユニークな空冷エンジンを搭載
自動車メーカーとしての礎を築いたホンダは、1960年代後半に入って本格的な小型乗用車の開発に着手。1969年、空冷1.3Lエンジンを搭載したホンダ1300セダンの標準仕様「ホンダ77」と高性能仕様「ホンダ99」を発売した。 分割式グリルと角目2灯(99は丸目2灯)ヘッドライトを組み合わせた個性的なフロントマスクに、インテリアは木目を多用したインパネや丸型3連タイプのメーター、3本スポークのステアリングホイールなどを装備。 また、エンジンを横置きに配置したFFレイアウトで、足回りはクロスビーム式独立懸架を採用するなど先進の技術が盛り込まれた。 なかでも最大の注目は、ユニークなDDAC(デュオ・ダイナ・エアクーリングシステム:二重空冷)エンジンだった。当時の一般的な小型車が水冷式を採用するなか、あえて空冷システムを選択したのは、創業者で社長でもあった本田宗一郎氏の強い思い入れがあったからだ。 DDACによって冷却性能を向上させた空冷1.3L直4 SOHCエンジンは、シングルキャブ仕様の77が最高出力100ps/最大トルク10.95kgm、高性能99の4キャブ仕様が115ps/12.05kgmを発揮し、2Lクラスに匹敵する優れた走りを披露した。 車両価格は、標準仕様77が48.8万円、高性能仕様99は64.3万円に設定。ちなみに、当時の大卒初任給は3.4万円程度(現在は約23万円)なので、単純計算では現在の価値では77が約330万円に相当する。
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