ホンダ初の小型乗用車「ホンダ1300」本田宗一郎氏がこだわったユニークな二重空冷(DDAC)エンジンは何が問題だったのか【歴史に残るクルマと技術036】
構造が複雑なDDACエンジンの重さが致命的に
DDAC誕生の背景には、今も語り継がれている本田氏と開発陣の確執となった有名なエピソードがある。 あくまでも空冷エンジンにこだわった本田氏は、“水冷は加熱された冷却水を空気で冷やすのだから、エンジンを直接空気で冷やす方が単純で効率的、軽量にもなる”と主張。開発陣が水冷エンジンの良さを推奨しても一切聞き耳を持たず、この空冷VS. 水冷の社内での論戦によって、本田氏と開発陣との間には大きな亀裂が発生した。 そこで苦肉の策で開発されたDDACは、通常の空冷エンジンのシリンダーヘッドとシリンダーブロックの中に、水冷エンジンのウォータージャケットのような通路を設け、そこに空気を送って冷却する方式。ホンダのF1マシンと同じようなシステムで、水冷並みの冷却効率がアピールポイントだった。 しかし、構造が複雑で重くなったエンジンを搭載したホンダ1300は、車重がライバル達より100kg程度重く、特にフロント重量が重くなったため、ハンドリング性のクセが強い、大衆車としては扱いにくいクルマとなり、販売は期待したほど伸びなかったのだ。
オイルショックと排ガス規制強化により市場から消えた空冷エンジン
さらにホンダ1300の逆風になったのは、1973年起こったオイルショックによる低燃費への要求の高まりと排ガス規制の強化だ。 水冷エンジンでは、運転状況によらず冷却水温が80度前後に制御されるため、エンジン各部の温度は安定するが、空冷エンジンは運転状況や冷却状況に影響され、エンジン各部の温度は変化する。空冷エンジンは、安定した温度制御ができないため圧縮比が上げられず、どうしても燃費や排出ガス性能は水冷エンジンに比べると劣ってしまう。 さらに、オイル温度と主要部品の温度が上がりやすくなるため、耐久信頼性についても水冷エンジンには太刀打ちできない。 空冷ながら冷却効率を高めたDDACだったが、加速する排ガス規制対応や低燃費対応が困難なことから、ついにホンダは空冷エンジンを断念。1972年発売の「ホンダ145」は水冷エンジンに切り替えたのだ。
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