沖縄で相次ぐ米兵女性暴行事件と公表しなかった政府の「根深い問題」
まずは、事件が起きた昨年12月です。米軍普天間飛行場の辺野古移設を巡り、国は月末に知事に代わって工事を承認する「代執行」を行いました。知事は岸田首相との面談を求めましたが実現しないまま、年明け1月に着工し、知事は「民意を軽視している」と強く反発していました。 次に、起訴された3月末です。首相は4月8日から国賓待遇でアメリカを訪問し、首脳会談や議会での演説が予定されていました。まさに外務省マター、しかも最重要案件で、起訴はその直前というタイミングでした。 政府側は隠蔽の意図を否定しましたが、私には「さもありなん」と腑に落ちる話でした。さらに5月には、アメリカのエマニュエル駐日大使が、台湾に近い日本最西端の与那国島を初めて訪れ、「戦争を防ぐいちばんの方法は確かな抑止力だ」と日米同盟の重要性を訴えるセレモニーがありましたが、もし事件が発覚していたら実現しなかったかもしれません。政府、とりわけ外務省にとって、95年の事件を想起させる今回の少女暴行事件が、最悪のタイミングだったのは間違いないからです。 ■県民に疑念を抱かせたのは政府の失態 一方で、事件発覚2日後の6月27日、県議会議員らが外務省沖縄事務所を訪ねて、県に情報提供がなかった理由を質した際、副所長は「外務省独自の判断で(情報を)出したり出さなかったりということはできる立場にない」と“政府の判断”を示唆し、後に外務省は容疑者の起訴前に、官邸とは情報共有していたことを認めました。 であれば、さらに浮かび上がるタイミングがあって、一つは6月16日に投開票された沖縄県議会議員選挙です。自民党や公明党、維新の会などで過半数を獲得し、立憲民主や共産など知事与党が少数派に転落する結果となりました。 立憲民主の岡田哲也幹事長は「(県議選前の公表には)外から(政治的な)力が加わったのかもしれない」との見方を示し、県民からも「事件を知っていれば結果は違ったかもしれない」という声が上がりました。私は、これが最初から非公表の理由だったとは思っていませんが、結果論であっても、県民にそういう疑念を抱かせること自体、政府の失態だと思います。