再結成ライブは昔にタイムスリップしたみたいだった――成田昭次が仲間たちと実現させた「男闘呼組」復活
音を出した瞬間「あー、こうだったな」
岡本と高橋は東京、前田は大阪、成田は名古屋在住。リハーサルの場所は4人の間をとって、名古屋のスタジオに決まった。が、ちょうどその頃から新型コロナの感染状況が深刻になり、実際に集まれたのは8月になってからだった。当日、成田は緊張のあまり、待ち合わせの時間より1時間も早くスタジオに着いてしまったという。 「久しぶりに和也とも会って。音を出した瞬間に『あー、こうだったな』と、まるでマジックみたいに、一気に時間が戻ったんです。健一は相変わらず音がでかいなとか(笑)、そういうところも全然変わってなかった」 翌朝、再び集まった4人は、「せっかくだからジャニーさんのお墓参りに行こう」と前田の車に乗り込み、墓のある高野山へと向かう。車中でも3人は「もう一度、男闘呼組やろうよ、もったいないよ」と盛り上がった。 「音楽への情熱が消えたわけじゃない。でももう50歳を過ぎてるし、名古屋には10年かけて築いた居場所もある。何より僕は、事件を機に音楽業界とは縁を切った人間。『誘われたから音楽をやります』とは言えなかった」
音楽をやめることが自身の行為へのけじめだと考えていた
男闘呼組のデビューは1988年。『DAYBREAK』『TIME ZONE』などのヒット曲を連発し、1989年8月には、東京ドームで単独ライブ。音楽活動は順風満帆に見えたが、グループは1993年6月に活動を休止。4人は別々の道を歩む。 「91~92年、5枚目のアルバムを出す頃から、自身で曲を作ったり、レコーディングに別のミュージシャンを連れてきたりと、メンバーおのおのが新たな要素を入れるようになってきました。ケンカしたとか仲が悪くなったとかじゃなく、ソロ志向が強くなり、男闘呼組としての音楽的母体が不鮮明になっていた。あの頃は、それぞれが『どうしたらいいんだろうな』と考えていた気がします」 2009年、ソロ活動をしていた成田は、大麻取締法違反で逮捕・起訴される。執行猶予付き判決を受けたのち、地元・名古屋に帰郷。以降、音楽から距離を置き、ギターもやめた。 「音楽をやめることが、自身の行為へのけじめだと考えていました。僕のしたことは今でも消えたわけじゃなく、これからもずっと十字架を背負っていくべきことだと思っています」 もう一つ大きかったのが、ロカビリーやフィフティーズが好きだった1歳違いの兄の存在だ。 「名古屋に帰ったとき、僕は兄貴に殴られることを覚悟していました。ところが兄貴は、すごく優しく迎えてくれて……。『俺がギターを弾くから、おまえはベースを覚えろよ。いつか遊びでやってみようよ』とうれしいことも言ってくれていたんです。ところが、僕が戻ったひと月後に亡くなってしまった。兄貴は以前から病気を抱えていたのですが、僕には一切そういうそぶりを見せず気づけなかったんです。そのショックがあまりにも大きく、立ち直るのにひどく時間がかかりました。今でも、ふとしたときに悲しみがよみがえります」