ロシアの軍艦が「津波」で大破した…かつての「南海トラフ巨大地震」の「衝撃的な様相」
日露和親条約と「北方領土の日」
これほどの大災害直後も、国家間の交渉は続けられていく。プチャーチンはディアナ号の遭難にもめげず、日露会談を続行する。英米に後れを取った和親条約締結の外交交渉に、すさまじい執念を見せた。 大地震・大津波から3日目の1854年12月26日(嘉永7年11月7日)から、プチャーチンは、副官ポシェートに事務折衝を指示、玉泉寺でも全権交渉を行い、その後も条約草案の事務折衝を続け、1855年2月7日(安政元年12月21日)、津波被害を免れた下田の高台にある長楽寺で、日露和親条約(9ヶ条)と同付録(4ヶ条)がロシア遣日全権使節プチャーチン提督と、幕府側全権・大目付格筒井政憲(つつい まさのり)と勘定奉行川路聖謨(かわじ としあきら)により締結された。 この時、交渉に当たった川路聖謨は、アメリカ使節ペリーの武力を背景にした恫喝的態度とは対照的で、紳士的に日本の国情を尊重しつつ交渉を進めようとしたロシア使節プチャーチンに大変好感を持ったといわれる。川路はプチャーチンについて、「軍人としてすばらしい経歴を持ち、自分など到底足元に及ばない真の豪傑である」と心からの敬意をもって評している。プチャーチンも川路について、「鋭敏な思考を持ち教養ある紳士的態度で、ヨーロッパでも珍しいほどのウィットと知性を備えた一流の人物」と報告書に記している。ロシア船に対する箱館、下田、長崎の開港、ロシア領事の駐留と双方の領事裁判権、最恵国待遇などが取り決められた。 そして、条約第2条では、両国の国境を「今より後、日本国と露西亜(ろしあ)国との境、エトロフ島とウルップ島との間にあるべし。(中略)カラフト島に至りては、日本国と露西亜国の間において、界を分たず 是迄仕来りの通りたるべし。」と初めて千島列島の日露国境を択捉島、ウルップ島(得撫島)の間と定めた。つまり、国後(くなしり)島、択捉(えとろふ)島、歯舞(はぼまい)島、色丹(しこたん)島の北方四島は日本の領土と、ロシアが国際条約で正式に認めたのである。その126年後の1981年(昭和56年)、日本政府は閣議の了解をもって、国境条項を含む条約が平和的に調印されたこの2月7日を「北方領土の日」と定める。しかし、北方四島は1945年太平洋戦争・終戦以降、ロシアが一方的に自国領土として不法に実効支配を続けている。それに対し日本政府は、北方四島の領有権は日本に有りと主張し、今も返還を求め続けている。 ちなみに、プチャーチン一行は3陣に分かれて帰国。第1陣は1855年3月に米国の商船フート号を雇い、159人が乗船し帰国の途に就いた。第2陣は戸田で建造された新造船「ヘダ号」が、同年4月プチャーチン以下48人を故国に送り届けた後、函館戦争に参戦。第3陣270人余は、米国船グレタ号を傭船し、同年7月に戸田港を出帆。しかし、グレタ号はオホーツク海で英国の軍艦に発見され、ロシア兵は全員捕虜として捕らえられてしまう(クリミア戦争中で、ロシアと英国が対立していたため)。その後、捕虜となったロシア兵たちは香港、英国本土へ移され、ロシアに送還されるのは、クリミア戦争が終結・講和(1856年3月)後だったという。 1858年7月、プチャーチンは再度来日し「日露修好条約」を締結後、江戸城で将軍家世子徳川慶福(家茂)に謁見。一連の日本との条約締結などの功績により、プチャーチンは海軍大将・元帥に栄進。のちに教育大臣にも任命される。日本政府からも日露友好への貢献が評価され、勲一等旭日章が贈られた。1883年10月、プチャーチンは79歳で死去。プチャーチンの死後、娘のオリガ・プチャーチンが戸田村(へだむら・現在の静岡県沼津市)を訪れ、プチャーチンの遺言として、当時の村民たちの好意に感謝し100ルーブルを寄贈した。そして、2005年4月16日、日露修好150周年記念式典が下田市で開催される。式典には小泉純一郎総理大臣、ロシュコフ駐日ロシア大使、プチャーチンのひ孫ディミトリー・プチャーチン夫妻、川路聖謨の子孫らが参列し、河津桜の記念植樹が行われるなど、こうして幕末の安政東海地震時から始まった日露の交流。しかし、2022年2月24日、ロシアはウクライナに一方的な軍事侵攻を開始。この暴挙に岸田総理大臣は、「ロシアの行為はウクライナの主権、領土の一体性を侵害するもので、国際法に違反し、『ミンスク合意』にも反するものであり、断じて認めることはできず、強く非難する」などとコメントを発表。今やロシアは、日本にとって極めて危険な隣国になってしまった。 さらに関連記事<「南海トラフ巨大地震」は必ず起きる…そのとき「日本中」を襲う「衝撃的な事態」>では、内閣府が出している情報をもとに、広範に及ぶ地震の影響を解説する。
山村 武彦(防災システム研究所 所長・防災・危機管理アドバイザー)