平安貴族は妻が何人もいる!? 「源氏物語」の世界を知るための基礎知識
貴公子の暮らし
◯意外とストレスいっぱい!? 平安貴族の男性の暮らし 男性貴族の人数は限られていて、帝のいる御殿に入れる「殿上人(てんじょうびと)」以上の上級貴族は、200人にも満たない数でした。 しかも源氏物語が書かれたころには、藤原北家につながる家系がほとんどをしめていて、ほかには天皇の血縁で家臣にくだって源氏を名乗る家系くらいしかいません。つまり、みんな親戚で、ずっと同じ顔ぶれの中で生活しなければなりません。気に食わない人がいたら、そうとうなストレスだったでしょう。それでも一緒に朝廷で政治をする、という仕事から一生逃れられません。 屋敷から出られない女性も不自由ですが、男性も自由に生きられたわけではないのです。 貴族社会の中で活躍するためには、さまざまな教養が必要でした。美しく着飾って遊び暮らしていたように見えますが、実は漢文や和歌、習字、音楽など、たくさんのことを覚えたり練習したりしなければなりませんでした。
平安貴族の恋愛と結婚
平安時代、貴族の男性には正妻(法律上の妻)以外にも何人か妻がいるのが普通でした。正妻との結婚は基本、親同士が決めます。それ以外は恋愛なのですが。 貴族の女性が屋敷の奥から出てくることはめったにないので、まずうわさを聞いた男性が手紙を出して「結婚前提で会いたい」と伝えます。それに女性が返事を書いて何度かやりとりをしたら、男性が女性の部屋へ入れてもらえます。連続3日、一緒に夜を過ごして朝をむかえたら結婚が成立します。 男性は自分の屋敷から女性の屋敷へ通い、生まれた子どもは女性が育てます。正妻とは夫婦で新しい屋敷をかまえて、家族として生活します。 なので正妻以外との結婚は、男性がほかの女性に夢中になったら自然消滅することが多く、夫婦関係はとても不安定なものでした。
気持ちを伝える和歌と手紙
平安時代は、手紙はもちろんのこと、すぐそばにいる人とでも、気持ちのやりとりには、必ずといっていいほど和歌が詠まれました。自然の風景を詠んだような和歌に、上手に自分の気持ちを忍ばせるのがすてきなのです。和歌はたった三十一文字(みそひともじ)、そこに感情や言いたいことをこめます。 手紙は、おしゃれな色の紙にきれいな字で和歌を書いて、花や木の枝に結びつけて贈る、というのが貴族のやりかた。 ちなみにこの時代、現代の読書のように黙読はせず、手紙や物語は音読し、それが聞こえた人はみんな内容を知っていました。 夕顔は扇に和歌を書いて手紙にしました。源氏物語には、ほかにも800首近い和歌が記されています。また、作者の紫式部の和歌は百人一首にものっています。興味がある方は読んでみてくださいね。