雅楽師・東儀秀樹さん「100%信頼してもらえる親でいること」が子育てに最重要です|STORY
親の欲を子ども自身の欲とすり替えてはいけない
――代々続く家業の継承についてはどう考えますか? 医者家系など、どうしても子どもを後継にしたい人のプレッシャーも耳にします。東儀さんのお子さんも雅楽をされてますが、どのように受け継がれていったのでしょうか? すごく言葉は悪いけど、代々医者家系とかにこだわる人って多いじゃないですか。僕から見ると、「何言っちゃってるの?」ですね。「1300年続けてるんだぞ、うちは。たかだか何十代の浅い歴史でガタガタ言ってるんじゃない!」という感じです(笑)。継がせたいっていうのは親の欲であって、本人の欲を親が自分の欲とすり替えちゃいけないんです。人としてどういう生き方が一番いいのかと考えた時、「ああ~よかった。楽しかったなぁ。じゃあ、もう、あとは神様お願いします」って死んでいければ本望じゃないですか。「あれもこれもやりたかったけどさせてもらえなかった……。家のことも頑張ったのに何もいいことがなかった」って死にたくないじゃないですか。我が子の幸せを願う親として、自分の子どもにどっちを選んでもらいたいか考えたら簡単なことです。 家が医者だからって医者になりたくないものを無理矢理医者にして「本当は野球選手になりたかったのになぁ」って最後ポロッと言って死んでいくのは目も当てられないですよ。「医者の家に生まれたのに、大好きな野球をさせてくれてありがとう!」って言ってもらえたらすごくいいと思うんです。でも、大事なのは、「君は医者の子どもに生まれた野球選手なんだよ」っていう価値観を子どもに伝えてもらいたいと思うんです。「僕のお父さんは医者でね、こういう立派な医者だったんだけど、僕はスポーツ選手になったんだよ」って言うと、その意識が孫に伝わって「お爺ちゃんが医者だったんだって」という話から、医者に興味を持ったりするようになります。で、「お父さんが野球選手でお爺ちゃんが医者かぁ。僕は医者に向いてる気がするな」と、医者になったら、一代飛ぶけどまた元に戻るんですよね。 ――東儀さんご自身は、ちっちさん(息子さん)に雅楽を継いでもらいたいとは思わなかったのですか? 僕は、ちっちが雅楽師になるかならないかなんて全くどうでもよかったんです。1300年続いている家だからといって、僕の家が続かなければ雅楽が途絶えるかというと、そういうことはないから。とにかく、息子には、息子が一番イキイキできて、楽しく生ききって欲しいとだけ思っています。嫌なものなのに我慢して仕方なくやるっていうことはない方がいいに決まっているのだから。何に向いているかわからないのだったら自由奔放にさせて、何かこれだ! というものを見つけたらそれに邁進できるような下敷きを僕が敷いておけばいいんです。「雅楽の家だから、雅楽をやってね」なんて一言も言ったことも頼んだこともないですよ。だけれども、結局、雅楽をやるようになったのは、とにかく僕が楽しく雅楽をやっているのを近くで見ているから。「篳篥(ひちりき)ってどうやって吹くの?」とか「笙(しょう)ってどうやって吹くの?」と、聞いてくるから「こうやって吹くんだよ」と、おもちゃのように与えていたらやるようになりました。 ――もし、ちっちさんが雅楽をしなかったらどうなっていたのでしょうか? 彼が雅楽の楽器なんてやらなくても僕は心配していません。というのも、日常の会話がすごく多くて、古い昔の話をすごく好んで聞くからなんです。東儀家の価値観とか、雅楽の価値観や歴史観とか僕が持っている日本人観について、しょっちゅう話しているんです。それが何なのかを受け取っていながら彼がロックをやると言っているので。ロックじゃなくて何か別のものになるかもしれないけど。そのうち彼の子どもができても、彼は僕の育て方がいいと思っているから、きっと同じように子どもに語り継ぐと思うんですよ。 「うちの東儀家はね、僕はこういう仕事をしてるけど、お爺さんがすごい自信過剰な篳篥吹きで」って(笑)。そうやって、死んだあと何十代経ってもその価値観だけが伝わっていさえすれば、目の前のことで決めなくても、どんな仕事をしていてもいいと思っているんです。時間がかかっても、どこかの代で、「音楽に向いてる気がするから雅楽をやってみよう」と戻る可能性があるから。 ――家業を継ぐために好きなことを諦める人もいますが……。 美談のように語る人がいるんだけど、これについては「何言っちゃってるんだ!」って(笑)。何で自分の能力を一つに絞ろうとするんだろうか。「家の大切なことをするために、それを捨てなければできないのか!? 能力はそこまでか!?」って問いただしてみたくなりますね。辞めなくても、2足のわらじだって3足でも4足でもやってみてから決めればいいのに、と思います。僕自身も、ロックやジャズで身を立てようと思っていた時に初めて雅楽を勧められて始めたけど、「雅楽が増えるだけ」と考えたら、もっと幅広い音楽人間になれると考えたんです。実際にそこから自分のオリジナルが芽生えましたし。もし、雅楽の道に行くからといって「ハイ、じゃあ、雅楽一本でもうロックは封じ込めます!」って言ったら今まで生きて培ってきたものが全部否定されてしまうような感じになってしまうじゃないですか。世の中で経験したこと全て経験するべきことだと思っているから、何も捨てるものはないんです。