AI時代の「女神」は、あの「スカーレット・ヨハンソン」かもしれない…?その「意外すぎる理由」
「Siri」が時代遅れになって
だが、そう主張するための表現としてはあまりにも拙かった。この映像は、見方を変えれば、歴史の中で人類が文化を築く上でともにあった「バディ」たちを圧殺したのだ。そこには、創作に携わる者が感じる相棒としての楽器、ツールへの愛着は感じられない。創作行為は道具無しでは行えない。そのような素朴な感覚をAppleはもう感じることができない。なにか大事なものがAppleから失われたと確信させる表現だった。その結果が、SNS上での非難の嵐だったのである。 そうして残ったのが、どうしてこんなひどい所業をAppleはできたのか? という問いだ。 その答えは、きっと、業界トップのAppleでさえ、無慈悲なまでにビジネスの進化を加速させるほかなくなったからなのだろう。競争のステージを加速させること、その加速に変わらずトップランナーのまま加わり続けること。そんな加速へと駆り立てられる源泉が、AIの襲来である。 振り返れば、2007年のiPhoneの登場でアメリカではBlackBerryが駆逐された。まだ上院議員時代のバラク・オバマが頻繁に利用することでモバイルガジェットの代名詞となったBlackBerryである。その突然の切り替えと似たような事態が巻き起こりそうな気配がAppleの周りでも漂い始めた。 2022年末にChatGPTがお披露目されて以来、2011年にローンチされたSiriは明らかに時代遅れの代物となった。ただのレスポンスとチャットではコミュニケーションのレベルが違う。その事実はApple自身も正しく認識しており、その慌てぶりは、鳴り物入りで始めた自律自動車の開発を停止し、そのAIエンジニアたちをジェネラティブAIの開発に配置換えするほどである。 Appleといえば、基本的にスタンドアロン志向のメーカーだ。ネットワークではなくあくまでも端末を起点にしたサービスを中心に開発してきた。個人のエンパワーメントが基本目標だが、その端末志向が、ジェネラティブAIの時代になって枷になりつつあるようだ。ジェネラティブAIの利用は、今のところ、ネットワークを介しているからである。 同社が開発してきたのはあくまでも個人が使うツールとしてのガジェット=端末だ。その意味では、彼らの姿勢は最初期のMacの頃から変わらない。インターネット以後に登場したiPhoneですら本質は、インターネット以前のPCにある。ビジネスモデルもPC時代に準じている。 インターネットが普及し分散コンピューティングにパラダイムシフトするかと思っていたところで、AppleはPCの上位互換としてのスマートフォン、すなわちiPhoneを開発し、それらを個人の日常に密着した本来あるべき「真のPC」に変えてしまった。 iPhoneでは、モバイル・コンピューティングが分散コンピューティングよりも優先された。結果、Appleは、Apple Storeを通じて、iPhoneで利用されるアプリを御するゲートウェイのポジションを確立した。提供者が個別にアプリを開発し、それらをApple Store経由でiPhoneにインストールするモデルだ。インターネットのオープンなブラウザ文化とは異なる、アプリ主体のクローズドなサービス・エコシステムが築かれることになった。