神野美伽「笠置シヅ子さんは引退を決意、出産4ヵ月前に舞台に立った。33歳の節目に〈辞める〉と決めて気づいた歌の大切さ」
◆すべてを懸けた恋の結末 しかし、出産のわずか2週間前、その最愛の恋人を病で亡くしてしまうのです。笠置さんより9歳も若く、24年にも満たない短い生涯でした。 歌手として積み上げてきたキャリアも、自身の命でさえも、すべてを懸けた恋の結末がこのようなことであったとは...。人生は、なんと酷いものか。 次元の違うハナシでありますが、私は結婚を決めた33歳の時、「歌をやめさせて欲しい」と、所属事務所の社長に掛け合いました。女性として、愛する人の子どもを産み育てて生きていく別の人生を心から望んだからです。 11歳の私を見出し、歌手として手塩にかけて育ててくれた社長には当然どやされることを覚悟で参上したのですが、そのとき社長から返ってきた言葉は「後悔はないな?なら、それでいい。幸せにしてもらいなさい。おめでとう」でした。 いま、こうして書いていてふと気づいたのですが、その時の私とあの時の笠置シヅ子さんは、偶然にも同じ33歳。互いに思慮分別があって然りの年齢でした。 引退を許してもらえた私は、その日から約1年を新しい仕事は受けず決まっていたスケジュールだけをこなして過ごしていました。
◆私は歌いたい しかし、幼い頃から歌だけを歌って生きてきた私は、時間の経過とともに激しい空虚感を抱くようになって来てついに「ごめんなさい。私は歌いたい」と夫に告げたのです。 「後悔はない」と啖呵を切ったはずなのに、自分自身が恥ずかしくて、申し訳なくて、居た堪れない気持ちでした。結局、私は、私を捨てることができなかったのです。 夫から「そう言うと思ったよ。君は歌いなさい。君の歌が僕たちの子どもだと思えばいい」と言ってもらえたとき、感謝とともに初めて「あぁ、私は歌うことが本当に好きなんだ!」と気づきました。 歌をやめると決めて、初めて自分のやるべきことに気づくだなんて、なんて皮肉な、いや間抜けな話でしょう。要するに、私と言う人間はわがままなのです。そのわがままをこのように通させてもらえた、幸せな今までの人生だったということです。 人騒がせな結婚の始まりでありましたが、歌手としての人生はそこから大きく変わりました。