「全日本プロレス」和田京平名誉レフェリー、70歳「古希」誕生日にレフェリング…記憶に残る「名勝負」三番を明かす
◆全日本プロレス「世界最強タッグ決定リーグ戦2024」(20日、東京・品川プリンスホテル ステラボール)観衆715 全日本プロレスの和田京平名誉レフェリーが20日、70歳の古希を迎えた。 和田レフェリーは1974年4月のレフェリーデビューして以来、半世紀にわたり王道マット一筋で幾多の名勝負を裁いてきた。今年7月20日の後楽園ホール大会では「デビュー50周年記念試合」を開催した。 誕生日を迎えた東京・品川プリンスホテル ステラボール大会では、数々のファンから「お誕生日おめでとうございます」と祝福の言葉をかけられた。セミファイナルの「世界最強タッグ公式戦」斉藤ブラザース対関本大介、真霜拳號をレフェリング。リングアナからのコールでは満員の客席から「京平コール」を受け、試合では厳格で軽快な動きで熱戦を裁いた。 和田レフェリーは、70歳で現役を続けられる秘けつをこう明かした。 「体重が軽かったからじゃないのかな。50年前に素人の俺が65キロからはじめて今は75キロ。太ったんだけど、それでも体重は軽い方だからね。全日本のそれまでのレフェリーってレスラーあがりの人がやっていたから体重的にヒザを痛めたりしてもたなかったよね。これ(ジャイアント)馬場さんの名言なんだけど、『人間は軽い方が長生きするんだ』ってよく言ってたよね。体重が軽い人ほど長生きするっていうのが馬場さんの解釈だった。だから『俺は長生きしない。大きいから』って言ってたんだけどね…」 レフェリー人生で思い出の試合を聞くと3つの名勝負をあげた。 「俺が初めて日本武道館のメインを裁いて足が震えたジャンボ(鶴田)対天龍(源一郎)さんの日本武道館(1987年8月31日。これは、スゲェなって思ったのが三沢(光晴)が5分で脳しんとうを起こしながら闘い抜いた三沢と川田(利明)の武道館(92年10月21日)。あとは、天山(広吉)と小島(聡)の両国国技館(2005年2月20日)。あの試合は過酷でしたよ」 尊敬する先輩レフェリーで2010年11月8日に81歳で亡くなったジョー樋口さんは、1997年3月1日に68歳でレフェリーを引退した。 「ジョーさんは68歳で引退でしたか…俺はそこを超えたんだね」 しばし感慨に浸った和田レフェリー。これからの目標を明かした 「動けなくなると生命力も落ちるよ。だから、こうやってリングの上で働いているのが健康の秘けつなんじゃな?。できる限りリングに上がって動いて、もう立ち上がれなくなったら引退だけど、まだ立ち上がれるんでまだまだ大丈夫。まだまだ上がれるまでやりますよ。もうちょっと長くやらせてください」 (福留 崇広)
報知新聞社