県会議長も務めた豪腕経営者の企業、破綻寸前に… 「二度と迷惑かけない」ひ孫が再生したきっかけに「ノドグロ」の豊漁
◆負債がふくらみ、事業再生へ
――室崎商店は、2011年に企業再生支援機構に再生支援を申し込み、その年に「浜田あけぼの水産」として再出発しました。どのような経緯があったのでしょうか。 時代の流れとともに、不採算部門から撤退しながら、事業を進めてきた室崎商店ですが、私が入社したときに残っていた事業は3つでした。 「漁業事業」、屋根瓦を製造販売する「窯業」、そして冷凍倉庫を保有する「冷凍事業」です。 中でも窯業は、瓦の需要が減り、売上高は右肩下がりでした。 私も、売り上げ減少にストップをかけるために、新規顧客の開拓に努めましたが、2008年に事業を譲渡することになりました。 しかし、窯業部門と、かつての缶詰事業の負債が重くのしかかり、銀行から「このままだと債務超過になり、経営が破たんする」と指摘を受けました。 企業再生支援機構に再生支援を申し込まざるを得なくなりました。 企業再生支援機構が事業再生計画を進める中で、漁業事業はなくすわけにはいかないと判断されました。 それは、水産都市・浜田の地域経済与える影響が大きすぎるからでした。 このため、金融機関の支援を得て、漁業事業に特化した新会社で再スタートしました。
◆地元の思いを託された35歳での事業承継
――2014年に35歳で「浜田あけぼの水産」の代表取締役に就任した経緯を教えてください。 子どもの頃から、「室崎商店を継ぐ」と刷り込まれて育ってきました。東京で働いているときも、「いつかは家業を継ぐために島根に帰らなければ」と思っていました。 しかし、企業再生支援機構の支援を受けたため、同機構や金融機関の関係者が社長を務めることになりました。 創業者一族のオーナー企業ではなくなり、「家を継ぐ」という選択肢はなくなったと、自身の身の振り方を思案していました。 転機は、浜田あけぼの水産が設立して2年目でした。 高級魚のノドグロが豊漁になり、会社に利益が出たのです。 「これなら事業を続けていける」とファンドが理解を示してくれ、私に次期社長として声がかかりました。 ――業界や浜田市民からは、地元出身の経営者に再生がバトンタッチされたと歓迎されたと聞きます。 事業承継を決断されたのには、どのような思いがあったのでしょうか。 一度は事業承継を諦めかけていました。 まさか、自分が再び継げることになるとは、というのが本音です。 もちろん、事業再生は困難な道だと分かっていましたが、創業者一族の私がやらなければならないと腹をくくりました。 窯業部門も冷凍倉庫事業も撤退時、多くの従業員に迷惑をかけました。 そのようなことを二度と起こさないためにも、従業員を第一に考える企業として、生まれ変わり、進んでいこうと心に誓ったのです。
■プロフィール
株式会社 浜田あけぼの水産 2011年12月、前身である株式会社 室崎商店の漁業事業を引き継ぐ形で設立。島根県浜田市に本社を置き、沖合底曳網漁業を営む。2019年には地元の鮮魚販売および水産加工品製造・販売会社を子会社化し、新たな商品の開発に取り組んでいる。
文・構成/庄子洋行