三条天皇なし崩し的「一帝二后」。皇后と中宮の覇権争い。道長の逆襲「空席だらけの宴席」が悲しすぎる【光る君へ 満喫リポート】
実資の愛娘「千古」
I:堅物で堅実だった大納言藤原実資が50歳を越えてからもうけた女子千古(ちふる)が登場しました。親ばか全開という感じで千古をあやす実資の姿が印象的です。 A:実資の「藤原北家小野宮流」は娘を天皇に入内させうる家柄です。おそらくなにもなければ実資も千古の入内を望んだことと思います。ところが、その願いは、道長、頼通(演・渡邊圭祐)父子の「妨害」にあって実現しなかったといいます。 I:遅くに生まれた千古にメロメロな実資なのですが、千古のことを「かぐや姫」と呼んでかわいがったそうですね。この親ばかぶりが藤原北家小野宮流の財産を流出させる事態を招くのですが、それはまた千古が大人になってからのことなので、『光る君へ』の劇中で描かれるかどうか、彼女がどこの誰と結ばれるのかはここでは伏せておきましょう。 A:藤壺から枇杷殿(びわどの)に移った皇太后彰子ですが、道長に枇杷殿にかかる予算を減らすように頼みます。「前の帝は寒くともいつも薄着でおわした」と一条院を追慕しながらですが、民のかまどから煙りが出ていないのをみて、税を3年ゼロにしたという仁徳天皇の故事を想起させる台詞でした。そういえば、先日行なわれた衆院選の際に、ある政党の党首が、この仁徳天皇の故事を演説で触れていましたよ。 I:まあ、なにはともあれ、三条天皇中宮となった姸子の散財対策でしょうね。姸子は以前、土御門(実家)の金をもあてにしているようなことをいっていましたから、よっぽど宴会好きだったのでしょう。
石を投げられたという道長
I:今週私が気になったのは、道長が比叡山に訪れた際に、叡山の僧に石を投げられたことに触れられた場面です。 A:突然出家した顕信の受戒に立ち合うための叡山入りでした。劇中でも触れられましたが、下馬せずに騎乗のまま叡山に入ったためだといわれています。 I:道長が傲岸不遜だったということでしょうか。 A:いろいろな見方ができるでしょうが、私はそうは思いません。『光る君へ』ではあまり描かれませんが、この時期の道長は仏法に篤く帰依していましたから、本当に体調が悪かったのではないでしょうか。 I:なるほど。彰子の解任を祈念するために金峯山寺詣をしたのは5年前のこと。あの時は、難行をこなしていたわけですから、時の流れというのは残酷ですね。道長の体力も明らかに低下していたということでしょう。 A:権力者も大変ということですが、道長が叡山で顕信と面会したことが『栄花物語』に描かれています。その際に道長は「何事が辛かったのか、この私を薄情なと思うことでもあったのか。官位の不足が気がかりであったのか。ほかのことはともかく、この私が健在でいる限りは、どんなことでも見捨てておくようなことはあるまいと思っているのに、情けないことぞ。こうして母のことも私のことをも考えずにこんなことになるとは」と語りかけたそうです(口語訳は『新編 日本古典文学全集』より)。 I:父子の葛藤ですね。なんだか涙が流れてきそうです。そういえば、道長が顕信に贈った衣服ですが、出家者には華美であったことも記されていますね。 A:実資といい道長といい、子を思う親の心ってほっこりしますね。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。「藤原一族の陰謀史」などが収録された『ビジュアル版 逆説の日本史2 古代編 下』などを編集。古代史大河ドラマを渇望する立場から『光る君へ』に伴走する。 ●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2024年2月号の紫式部特集の取材・執筆も担当。お菓子の歴史にも詳しい。『光る君へ』の題字を手掛けている根本知さんの仮名文字教室に通っている。猫が好き。 構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり