【追悼’24】「保徳戦争」を経て政治家に…徳田虎雄さんが〝力ずく〟で邁進した「医療の未来」
‘24年も多くの著名人が惜しまれつつ旅立っていった。過去に本誌が紹介してきた記事などをもとに、往時の活躍をふり返り、故人を偲ぶ──。 【密会】都内のホテルで…徳田虎雄さんがコッソリと会っていたあの〝都知事候補〟 ◆島を二分、札束が飛び交った「保徳戦争」 7月10日、政治家であり日本最大級の医療法人『徳洲会』の創設者でもある徳田虎雄さんが神奈川県・鎌倉の病院で亡くなった。86歳。‘02年に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症しそれ以来、闘病を続けていた。 徳田さんは1938年生まれで鹿児島県の徳之島出身。小学3年生のときに、幼い弟が腹痛で苦しんでいるときに医師に診てもらえず亡くなったことから医師を志す。大阪大学医学部を卒業し、’73年に大阪府松原市に『徳田病院』(現・松原徳州会病院)を開業した。 徳田病院は「365日24時間無休、保険証なしで診察可能」という当時としては画期的な治療方針を掲げていた。このことが地域住民の間で評判となり、病院経営が軌道に乗った徳田さんは’75年に医療法人徳洲会を設立。全国に病院や診療所を次々に展開していくこととなった。 しかし、あまりに積極的な病院建設は各地で地元の医師会との軋轢を生んだ。その中で徳田さんは政治の重要さを知ったという。政治家を目指して’83年、’86年の衆院選に故郷・徳之島を含む奄美群島区(現在は鹿児島2区に編入)から立候補した。 奄美群島区は当時の中選挙区制で唯一の一人区。対立候補で現職だった保岡興治氏は自民党田中派の大物で、選挙は島民を二分する激しい闘いとなった。札束が飛び交い、選挙違反による逮捕者も続出したことから「保徳戦争」と呼ばれ、全国から注目された。 ‘86年の選挙のときには本誌も現地の様子を取材している(’86年7月18日号)。奄美大島のある町の要所には、地盤の切り崩し工作を恐れた両陣営が徹夜で見張り小屋を設置していた。反対派と見られる不審な車を見つけると車で追跡するなど、まるで戒厳令下のような様相。そして文字通り札束が乱れ飛ぶ状況に島はお祭り状態だった。 ‘83年、’86年は落選となったものの、徳田さんは’90年の衆議院選で初当選。以後、衆院議員を通算4期つとめた。 政界では日本医師会とつながりの深い自民党からは距離をおかれたため、自由連合を旗揚げする。医療業界の古い体質と闘うために政治家となった徳田さんだったが、医療制度に対する政策や提言などはなかったという。ただ、病院を建設して医療過疎地を無くす、そのために選挙に勝ち続けるという「手段」だったはずのことが、「目的」になってしまっていたのでは、という批判もある。 ◆石原慎太郎氏との〝蜜月〟 政治家では石原慎太郎氏や亀井静香氏などと親しかった。’99年4月に行われた都知事選の前に本誌は徳田さんと石原氏の密会現場をキャッチしている(’99年3月26日号)。 当時、石原氏は〝大本命〟と目されながらも、なかなか立候補を表明していなかった。ようやく出馬表明をした3月10日の前夜に都内のホテルで二人は会っていたのだ。このタイミングでの〝密会〟は「かねてより親しい間柄である徳田さんが石原氏の選挙スポンサーになったのではないか」とも囁かれた。本誌が徳田さんを直撃すると、次のような答えが返ってきた。 《石原さんが是非とも記者会見の前にお話を伺いたいとおっしゃるので、急遽、予定を変更して奄美大島から飛んできた。今日は都の医療問題と高齢者問題を話した。今回の都知事選は、舛添(要一)さん、柿沢(弘治)さん、鳩山(邦夫)さんともつきあいがあるので複雑な思いだ。石原さんの資金の援助? 石原さんは有名人だから、ポスターを貼って、マイクを握るだけで十分でしょう。 スポンサーなんて必要ないし、僕のほうは台所は火の車ですよ》 徳田さんはスポンサーになったことは否定したが、選挙の結果は石原氏の圧勝。石原都知事が誕生したのだった。 ◆手段を選ばず突き進んだ 徳田さんはALSのため、’05年に政界を引退する。だがその後も長く徳洲会グループのトップとして病院経営に携わった。言葉が出せなくなった徳田さんは病床で文字盤を使用して視線の動きでさまざまな指示を出していたようだ。地盤を受け継いだ次男の選挙運動にも関わっていた。グループを追放された徳洲会事務総長の告発に端を発した’13年の「徳洲会事件」では、選挙管理法違反で摘発されたが、難病を理由に不起訴となっている。 この事件を受けて徳田さんは’13年10月に医療法人徳洲会理事長などの職を辞した。しかし、その翌月には関連会社6社の社長に就任したことで批判を浴びている。 徳田さんは最初に病院を開業した当初は、連日泊まり込みで仕事に打ち込むなど、強い信念で理想に邁進していた。だが、その一方では理想のためには手段を選ばないという部分もあった。しかし、徳田さんが残した「年中無休・24時間オープン」の徳洲会病院は、医療崩壊が叫ばれる現在にその多くが地域医療の中核を担っている。 ご冥福をお祈りします──。
FRIDAYデジタル