長嶋茂雄に巨人の背番号3を譲った「猛牛」 ニックネームは近鉄の愛称「バファロー」の由来に
創立90周年を迎えた巨人。巨人での出場試合が多い野手、投手を中心に記録にも記憶にも残る歴代の「偉人」を紹介します。第25回は千葉茂。 【写真】ルーキー原辰徳の華 多摩川キャンプにファン1万人と警察官15人&パトカー3台 * * * 長嶋の前に背番号「3」を背負っていたのは、「猛牛」千葉茂だ。 1919年5月10日、愛媛県生まれ。松山商から38年に投手として入団も、すぐに野手に転向し、1年目の春から「6番・二塁」で出場。2年目から正二塁手となった。 守備範囲が広く、華麗かつ堅実。白石敏男との二遊間は鉄壁とされた。川上哲治、中島治康とクリーンアップを組み、高い出塁率をマークした。 戦争を経て、46年に復帰。背番号は「3」になり、ベストナイン表彰が復活した47~53年まで7年連続で受賞した。7回獲得は二塁手最多タイ。また、48年10月16日の大陽戦での6得点は現在も日本タイ記録となっている。50~54年に、39本連続で右へ本塁打を放つなど、右打ちは芸術的と称され、四球も多く、バントも巧みだった。 56年に現役を引退、57年に背番号「3」のままコーチになったが、巨人2軍監督になった翌58年、入団した長嶋に背番号を譲った。59年、近鉄の監督に就任(~61年)。チームの愛称はパールズから、千葉のニックネーム「猛牛」にちなみ「バファロー」と変えられた。80年、野球殿堂入り。
報知新聞社