「まさか死んでないよな…」これから日本人を襲う大災害「最悪のシミュレーション」
ビル崩壊、大渋滞、「助けて」の声……
この日、タクシー運転手の浜田幸男(仮名)は夜の街を流していた。休憩に入ろうとした矢先、常連客からの電話が鳴り「湾岸エリアまで来て、乗せてよ」と頼まれた。「OK!10分ほどで着くから待ってて」と普段と変わらない応答でアクセルを踏み込んだとき、車が持ち上がるような激しい衝撃を感じる。 「ドッ、ドーン!」。追突されたときのものではない、地鳴りのような音が響く。それは腹底を揺さぶられるような強いものだった。都会の喧騒を上回る大音量の緊急地震速報がスマホから鳴り響き、必死でハンドルにしがみつくしかない。「車がひっくり返る、もうダメだ」と身を屈めるのがやっとだった。 最初の激しい揺れは10秒ほどだったが、1分以上に長く感じた。顔を上げたときには周囲の信号機は倒れ、道路沿いの建物は崩れている。ビルや看板の灯りは消え、歩道には瓦礫やガラスが飛び散り、呆然と立ち尽くす若者たちの姿は映画のワンシーンを見ているようだ。 やや揺れが小さくなったことを感じた浜田は、汗で湿る手で強く握りしめたスマホから家族への電話を繰り返した。だが、一向につながらない。「まさか死んでないよな……」と不安ばかりが募る。 ベテランの域に達した運転手でも見たことがない大渋滞が行く手を遮り、やむなくタクシーを路肩に放置することにした。真っ暗な道を月明かりだけを頼りに急ぎ足で自宅に向かう途中、不気味に静まり返った街では、どこからともなく「助けて」というわずかな声が風に木霊し、耳に残った。 関西出身の浜田は、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災で母を失った。日本で初めての大都市を直下とする地震で、最大震度7を記録。兵庫県を中心に6434人(災害関連死含む)が死亡、3人が行方不明、4万3792人が負傷した大地震だ。テレビやスマホからの情報が遮断される中、浜田はかつて経験した地震と似たような揺れを感じた。 路地を曲がれば自宅という場所にたどり着いたとき、浜田は顔見知りの消防団員に制止される。「立ち入り禁止になっているんです。もう行かない方がいい」。 見慣れた道の先には見るも無残な状況が広がっていた。飼い犬の散歩で知り合った近所のシニア夫婦が住む一軒家は倒壊し、あちらこちらに炎が見える。高いビルからは煙が空高く立ち上り、住み慣れた木造二階建ての自宅は隣家に助けを求めるように傾いていた。 「妻が家にいるんだよ、とにかく行かせてくれよ!」。何度も勢いよく飛び出そうとしたが、必死に制止された。不安と苛立ちが充満したとき、浜田は妻・幸子との“約束”を思い出す。 「俺は阪神・淡路大震災で母親を亡くした。今度は南海トラフ巨大地震が起きるというではないか。だから、東京に出てきたんだ。いいか、幸子。何かあったら必ず逃げてくれ。俺も逃げるから後で絶対に合流しよう」 大地震で親を失った浜田は、いざというときの対応を妻と話し合っていた。その“約束”を信じ、浜田は避難所に指定されていた小学校に向かった。