「命の選択」の先に…ALS患者・吉岡哲也さん 家族に看取られ永眠 5年10カ月の難病との闘いの記録【島根発】
ベッドの上で「命の選択」に揺れる
筋肉が衰え、体を動かすこともままならない。次第にベッドの上で過ごすことが多くなった吉岡さんが向かっていたのは、パソコンの画面だ。 最後まで自力で動かすことができる眼球を使い、視線の動きでキーボードを操作し、パソコンを通じて意思を表現する「意思伝達装置」の練習に明け暮れていた。 病気が進行して呼吸するのに必要な筋肉が衰え、自力での呼吸が難しくなった場合に、人工呼吸器を装着するかどうか、患者は自らの意思をあらかじめ示しておく必要がある。 練習は、次に訪れることになる「命の選択」に対する自らの決断を伝えるための準備だった。 人工呼吸器を装着する場合、患者の気管を切開する必要があり、この手術を受けることは、声を失うことを意味する。しかし、装着しなければ、命を長らえることはできず、運命を受け入れるほかない。 病気が急速に進み、手や足の運動機能だけでなく呼吸機能も日に日に衰えていくなか、吉岡さんは、「(人工呼吸器を)つけないと死ぬわけでしょ。死ぬのが怖い。つけるということは、延命はできるけど家族に負担をかけてしまう。何年後にもう外してほしいって思うかも」と、「命の選択」を前に心は揺れていた。
桜の下で「来年も見に来られたら」
ALSと診断されてから2年余りがたった2022年の春。吉岡さんは、朋子さんと松江市内の、とある川のほとりにいた。 春らんまん、満開の桜の下で、吉岡さんは「桜のように美しく生きなきゃ、来年も見に来られたらいいけど」とつぶやいた。 桜の季節が過ぎたころ、吉岡さんは、気管を切開し、人工呼吸器を装着することを決断した。 手術室に入る吉岡さんに、朋子さんは「バージョンアップしてきてね」と声をかけ、夫の決断を後押しした。
「体は不自由でも心は自由」
刻々と進む病気と向き合いながら、吉岡さんは、体の自由を奪われても、心は自由だった。 2023年、吉岡さんは、日本ALS協会島根支部の定期総会に初めて参加し、同じ境遇の患者と交流した。 「ALSにはなりましたが、人生が終わったわけではありません。新しい暮らしが始まったんだと気持ちを切り替えました」と、吉岡さんは話した。