地震がきっかけで、面倒な洗い物ができるように...「防災」のハードルが下がる考え方
暮らしや性格が違えば、防災の目的も方法も人それぞれ
【マミ】私にとって防災とは何だろうって、本を出版した機会にあらためて考えてみたんです。そこで出た答えが、「防災は、生きるためにするもの」でした。私は防災について考えるようになる前から、キャンプや日々の生活をとおして、「生きやすい」「暮らしやすい」を追求してきました。 それも結局は「よりよく生きるため」。だから、防災と出会ったときにもすべてが地続きで、フェーズを区切る壁のようなものは生まれなかったんだと思います。 【佐藤】防災は生きるためのものだし、生きやすいを考えることが防災になると、私も思います。マミさんたちの防災の提案は、たしかにキャンプのスキルや考えがたくさん活かされているけれど、それ以前に「暮らし」に起点があるんだ、ということが、いまのお話を聞いてよくわかりました。 【マミ】と、壮大な話をしているようですが、熱心に防災に取り組んで今のような暮らしをつくり上げた、というわけではないんですよ。私、ご飯を食べたあとの洗いものが、どうしても面倒くさいんです。夕飯のあとも食器を流しに放置して翌朝洗うなんてこともありました。 でも防災の意識が少しでもあると、「このあと地震がきたら水道が止まるかもしれない......」というのが頭をよぎるので、「そうなったら困るな」と身体が動くんです。そういうことの積み重ねで、面倒くさがりがきっかけになっていることはたくさんあります。 【佐藤】それはリアリティのある動機ですね。一歩先に起こりうることをモチベーションにして、前倒しの生活にする。そしてそれが結果として、生活に余裕をもたらしている。 【マミ】フェーズフリーの「もしも」は災害時のことをいっていますが、「もしも」の想定は、多くの人が日々やっているような気がするんです。もしも夢がかなったら、もしも思い描く自分になれたら......と想像して備えている。 釣り人なら、大漁を想定して大きなクーラーボックスを用意していくとか、恋愛をしていれば「今日は好きな人に会えるかもしれない」と思って好きな服を着ておくとか。目標や憧れの「もしも」に備えらえるなら、きっと災害時の「もしも」にも備えられる。反対に、災害時の「もしも」に備えることができるようになったら、いろいろな「もしも」が膨らんで未来がどんどん明るくなっていくと思います。 【佐藤】すごく素敵な考え方ですね!「もしも」は、非常時やつらいことだけではなくて、うれしいことも含まれる。それを生活にフィードバックすると、暮らしがもっと豊かになっていく。自分にとって特別にすてきなことと、「いつも」とのあいだにあるフェーズの垣根も、そうやって超えていけますね。 【マミ】 こんなふうに防災を考えるのって楽しいですよね。もちろん真剣ですよ。災害時に防災を楽しく考えられるかというと、それはまた別の話。でも「災害が身近な日常」はこの先もずっと続くので、「もしも」のためにいまを楽しみながら備えておきたいと思っています。そうやって常に「いつも」を豊かにしながら、「もしも」に強い暮らしをめざしています。
佐藤唯行(フェーズフリー協会代表),マミ(CAMMOC)