なぜ?私は「コレ」で心理的安全性をやめました 「安心」ではなく「安全」であることの意味
「優しく接していたら、成長できないと不安を持たれる」 「成長を願って厳しくしたら、パワハラと言われる」 ゆるくてもダメ、ブラックはもちろんダメな時代には、どのようなマネジメントが必要なのか。このたび、経営コンサルタントとして200社以上の経営者・マネジャーを支援した実績を持つ横山信弘氏が、部下を成長させつつ、良好な関係を保つ「ちょうどよいマネジメント」を解説した『若者に辞められると困るので、強く言えません:マネジャーの心の負担を減らす11のルール』を出版した。
本記事では、「心理的安全性」が注目されているこの時代に、あえて「心理的安全性」を諦めたとあるマネジャーについて、その理由と背景を書籍の内容に沿って解説する。 ■「安心」と「安全」の違いを理解していますか? いきなりだが、あなたは安心と安全の違いをうまく表現できるだろうか? 「安心・安全の欲求」などと表現するように、よく並列で使われるので、その違いがわからない人も多いのではないか。 実は私も「心理的安全性」という言葉が浸透するまでは、あまり考えたことがなかった。しかし、この安心と安全の違いを知っておかないと、「心理的安全性」の真の意味、価値を正しく理解できないのである。だから、
「心理的安全性の高いチームをめざしたい」 と宣言しても、どう目指したらいいかわからないだろう。 言葉の意味を調べてみると、納得がいく。安心かどうかは、個人の主観で決められるが、安全かどうかは専門家の証明が必要だ。つまり、 ・安心は主観的 ・安全は客観的 と覚えたらいい。労働安全や情報セキュリティに関わる人は、基本的に資格取得が必要だ。専門的な知識と技術があって、はじめて安全かどうかの判断ができる。
しかし、安心に関わる資格など存在しない。安心か不安かは、あくまでも、その人の主観的な感覚によって左右されるからだ。 「安全だから安心だ」 という表現はあっても、 「安心だから安全だ」 という表現は間違っている。つまり、「心理的安全性」かどうかは主観で決めてはいけない、ということだ。 ■安心かどうかは個人差が大きい 主観的な判断は、人によって変わるし、状況によっても変わる。たとえばこれを読んでいるあなたは同窓会が好きだろうか? 中学校の同窓会、高校の同窓会……。そのような同窓会に参加し、昔のクラスメートと久しぶりに再会したとしよう。