なぜ?私は「コレ」で心理的安全性をやめました 「安心」ではなく「安全」であることの意味
その際、 「全然、変わってないじゃん! 10年前と何も変わらない」 「うわァ、安心した~! 昔のままだ」 といったことをつい言ってしまう人はたくさんいると思う。私もどちらかというと、そのタイプだ。10年ぶりでも、20年ぶりでも、自分がよく知っている姿、態度、話し方に触れると安心するものだ。 いっぽう、不安になる人もいる。 「10年間で、いろんな経験をしたはずなのに、昔のまんまだなんて」 そう言った彼は、学生時代とは激変していた。内気で、友だちが少なかったはずだが、今ではモトクロスバイク専門店のオーナー社長をしていた。日焼けした肌に、金色の髪。自身に満ちあふれた目つきに、昔の面影はなかった。
そんな彼にとって、安心できる場ではなかったのだろう。1次会が終わる前に「用事があるんで」と言って、途中退席した。 安心かどうかは、言い換えれば「しっくりくるかどうか」「違和感を覚えるかどうか」である。新刊『若者に辞められると困るので、強く言えません』にも書いた。なぜ若者は「ゆるブラ」企業を敬遠するのか。ゆるすぎるブラック企業だと、しっくりこないのだ。 「無理しなくてもいいからね」 「自分のできる範囲でがんばって」
と入社当時から言われたら、安心できる若者も多いだろう。 「優しい会社だ」 「プレッシャーがかからない環境だと働きやすい」 と歓迎する。いっぽうで、「どうも、しっくりこない」という若者もいるのだ。 「この会社にいて成長できるのか?」 「若者に媚びてるのか?」 と受け止める。 「わたしたちの時代はもう終身雇用なんてないのだから、若いうちに力をつけないと」 そう考えたら、「ゆるブラ」企業で働くことに安心できないのだ。
■心理的安全性が高いチームのマネジャーに「安心感」などない 安心かどうかは主観的だ。組織マネジャーの立場で考えてみよう。たとえば自分の指示に異を唱えるメンバーが多いと、安心できないマネジャーは多いことだろう。 「それは違うと思います」 「もっとこうしたらどうでしょう?」 と、メンバーから反論されたり問題提起をされたら、しっくりこない。だから多くのマネジャーは、自分の言う通りに動くメンバーばかりいたら安心する。