なぜプロ野球で野手の衝突事故が起きるのか
3月30日の巨人―阪神戦で惨劇が起きた。救急車が東京ドームの外野の扉をあけて、阪神・西岡剛内野手が横たわる、すぐ傍まで入ってきたときは、緊張感に包まれた。首を固定され搬送された西岡は、左手をあげたが、最初は、白目を剥いて意識がなかったという。 病院に運ばれ、検査の結果、不幸中の幸いにして命に別状はなかったが、「鼻骨骨折、胸部打撲、左鎖間接脱臼」という重症。もう一人の被害者、福留孝介は、続けてプレーをしたが、一度打席に入ると、途中交代、胸部打撲で病院へ直行した。 場面をふりかえると、二回の1点を先制されなおも二死一、二塁。打者はピッチャーの大竹。ライトとセカンドに間にふらっとあがったハーフフライを巡って、背走した西岡と前進した福留が、衝突。西岡は、その衝撃で宙に舞い、まるでプロレス技のように後頭部から人工芝に落下して動かなくなった。 ■過去にもあった衝突事故 私は、巨人の吉村禎章と、栄村忠広が札幌で激突した悪夢を思い出した。1988年7月の中日戦で、レフトの吉村とセンターの栄村が衝突、このとき、吉村は左膝のじん帯を断裂して選手生命の危機に陥った。天才打者は、この怪我さえなければ、もっと数々の記録を残していただろうと語られることも多い。 人対人の衝突ではなかったが、阪神では、現スカウトの責任者の佐野仙好が、1977年に川崎球場で行われた大洋戦(現横浜DeNA)で打球を追って背走してコンクリートのフェンスに激突、生死をさまよい、その後、ラバーフェンスが義務づけられるきっかけとなったし、最近では、引退した金本知憲と、赤星憲広が左中間の打球を追って衝突したこともあった。 ■衝突事故の原因は準備不足と大歓声 プロという高い技術を持ったプレーヤーが、なぜ、こういうアクシデントを起こすのだろうか。阪神DCで評論家の掛布雅之氏は、「準備不足と歓声が原因だ」と説明する。