御嶽山噴火災害からまもなく10年… 遺族らが慰霊登山 「(時が)経てば経つほどつらい…」 それぞれの10年【長野】
戦後最悪の噴火災害から9月で10年を迎えます。遺族などが28日、慰霊登山をしました。 初めて御嶽山を訪れた遺族、高齢のため数年ぶりに登頂できた遺族、行方不明者の捜索継続を願う家族…それぞれの思いを取材しました。 愛知県刈谷市の野村正則さん(61)。 登山リュックには、花とお守り…「りょうた」と書かれていました。 あの日一緒に御嶽山に登ったおいの亮太さん(当時19歳)が、行方不明のままです。 (Q勝手に僕らはどうしても10年とかって節目をつくってしまうんですけど、野村さんにとっては?) ■野村正則さん(61) 「やはり節目という考え方はしないですね。10年間、亮太をまだ連れて帰らず待たしてしまっているという、自責の念というか、そういう思いは強いです。そういう10年ですね」 息子のように可愛がっていたそうです。 ■野村正則さん(61) 「なかなか話す機会というのが年々多感な時期になってくると少なくなってきて。話したいがために山とかに誘って… 御嶽山もそういうきっかけになればと思って一緒に登ったんですけどね」 長野県と岐阜県にまたがる御嶽山は、2014年9月に噴火。58人が死亡、5人が依然、行方不明です。遺族などでつくる「山びこの会」は、毎年、慰霊登山を実施しています。 今回、初めて訪れた遺族の姿がありました。 神戸市の松井さん一家。大黒柱だった貞憲さんを亡くしました。 ■父を亡くした三男・松井登輝也さん(27) 「(当時)高校2年生だったんですけど、その時はこの山がすごく嫌いだった。もっと一緒に生きたかったなって… 本当にそう思うからこそ、周りの人にはこういう被害に遭ってほしくない」 ■次男・松井直人さん(30) 「節目としては父親が最期に…居た所に来られて良かった」 ■夫を亡くした松井さん 「御嶽山には寄りつきたくもなかった。登りながら怒りがどんどんこみ上げてきた。噴火さえしなければ夫が亡くなることはなかったですから」 同じ家族でも、受け止めは様々です。10年分の思いが、それぞれあふれました。 10年の経過は、10歳年を取ったということでもあります。 次男・真友さんを亡くした東御市の荒井寿雄さんは、82歳になりました。 今回の慰霊登山の参加者で最高齢。 足の手術を経て4年ぶりに登頂しました。 ■次男・真友さんを亡くす荒井寿雄さん(82) 「もうね、80過ぎたら苦労ですよ。大丈夫だって思ったって、1時間も登れば足ガクガクして」 高齢化が進み、「山びこの会」は今後、登頂ではない形の慰霊も検討しています。 野村さんは、山頂で、おい・亮太さんとはぐれた方向をしばらく見つめていました。 ■野村正則さん(61) 「亮太と一緒に、ここに無事に登って弁当を食べて、また無事に下山して帰る予定だったんですけど…時間が経つほど、『待たせている』という意識がどうしても自分の中ではありますので、経てば経つほどつらいですね」 翌日、野村さんたちは、特別な許可を得て登山道から外れた急斜面に入っていました。 行方不明者について、県が捜索を終結する姿勢の中、民間会社に協力を依頼し今後の方針を検討したのです。 ■野村正則さん(61) 「捜索自体をやめてしまうと、亮太を家に帰すことができない可能性が高くなってしまうので、できれば続けてほしい」