「香水」ばかりで嫌になることもあった――瑛人が乗り越えた「香水の呪縛」
「君のドルチェ&ガッバーナの その香水のせいだよ」という耳に残る強烈なフレーズと温かみのある歌声。シンガー・ソングライターの瑛人(24)は「香水」の大ヒットにより、一躍時の人となった。しかし、人々の瑛人を見る目が変わり、落ち込むこともあったという。瑛人にとって、「香水」大ヒット後の日々はどんなものだったのだろうか。(取材・文:田口俊輔/撮影:木村哲夫/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
なんで今、俺ここにいるんだろう?
「もう、ぶっとびですよ!!」 瑛人は自分の置かれている今の状況について、「ニコッ!」と音が聞こえてきそうな笑顔で答えた。 高校卒業後、横浜の大桟橋のアメリカンダイナーで多いときは週5日のアルバイト生活を送っていた瑛人は、19歳で音楽活動を開始、わずか2年後の2019年に初の作品「香水」を配信。友人との気楽なセッションで生まれた一曲は、さまざまなSNSを通じて特大のヒットを飛ばす。気づけばYouTubeでの再生数は1.5億回を超え、テレビで、ネットで、街中で「香水」は連日のように流れた。2020年には「日本レコード大賞」の優秀作品賞に選ばれ、年末の大舞台「NHK紅白歌合戦」のステージにも立ち、これまでの足跡は「情熱大陸」(TBS系)でも特集された 「正直毎年、『なんで今、俺ここにいるんだろう?』と思うんですよね。高校卒業してすぐにアメリカンダイナーで働き始めた時も、『なんで俺は今、この店で働いて、オーナーと一緒にアメリカに研修旅行に行っているんだろう?』とか。その1年後には音楽学校に入って音楽活動を始めて『なんで俺は今、人前でライブしているんだろう?』とか(笑)。客観的に自分を見るたびに、毎年今まで知らなかった面白い場所に立っているのが不思議でしょうがない」
自身の生き方について「その場の流れに身を任せるタイプ。というか何も考えていない(笑)」と語る。とりまく環境が変化し続けることには慣れていた。しかし、19歳まで曲の作り方はおろか楽器に触ったこともなかった青年が、わずか数年で老若男女が口ずさむ歌を作ったことは、今までの想像を超える変化をもたらした。 「まず横浜を出て一人暮らしを始めた。あとレーベルに所属したり、森山直太朗さんたちがいる事務所にお世話になるようになったりと、一緒にいる人たちがさらに増えた。俺、小学校の卒業式で直太朗さんの『さくら(独唱)』を歌ったんですよ。12歳のとき、メッチャ泣きながら歌った10年後に、その歌を作った人と一緒に仕事をしているって、『何が起きてるんだ!? 人生って面白いなあ!』と、驚いてばかりの毎日」