「乳がん発見のきっかけは“友人のお土産”でした」大バズリ女優・赤間麻里子54歳、闘病体験を語る
20年前の、19歳だったときの自分に“後押し”されて
――でも結果、今でも続けているということは。 「そこは才能云々の話ではないですね。39歳の時に、段ボールいっぱいに入っていた無名塾時代のダメ出し帳を発見したんです。入塾初日に書いた1ページ目には、『40歳になって何者にもなれなかったら潔く諦めること』って書いてありました。おそらく19歳だった当時の私にとって、40歳が違う人生をギリギリ始められる年だと思ってたんでしょうね」 ――発見したのが39歳ということは……あと1年! そこで何か行動を起こしたのですか? 「今、誰と仕事をしてみたいのかを考えて思い浮かんだのが、原田眞人監督と井筒和幸監督でした。だからまずは、この二人にアプローチしてみよう、と」
「若い俳優志望の子たちばかりの中、ダントツで年上」
――2人とも映画界の大物監督! 「狙うなら大御所を狙っちゃおう。ダメもとなんだから目標は高く! くらいのノリでした。どうせ簡単には近づけないだろうし(笑)。でも、そのタイミングで原田監督がワークショップを行うと知ったんです。原田監督作品のどんなところが好きか、自分の思いを何枚もの手紙にしてワークショップの最終日に手渡しました。その後、映画の研究会やオーディションに呼んでくださるようになったんです」 ――原田監督、クリア(笑)! 井筒監督の方は……? 「井筒監督が主宰している学校に40歳で入学しました。でも、周りが若い俳優志望の子たちばかりの中、私だけダントツで年上なわけです。それを『こんなとこにいていいの? おばはん』なんて面白がってくれて、飲みに連れていってもらえるようになったんです(笑)」
40代で乳がんに。発見のきっかけは「フランスのお土産」
――そして42歳の時に原田監督の『わが母の記』で映画初出演を果たすも、40代で乳がんが発覚し闘病もされたとか。 「たまたま友人がフランスで胸に張りが出るクリームを買ってきてくれたので塗っていたら、パチンコ玉みたいなしこりを発見したんです。次の日病院に行ったら、がん細胞で、早急に手術となりました」 ――何気ない日常の動作の中で気付いたわけですね。 「私は乳がん検診を毎年受けていたのですが、偶然にもその年だけしてなかったんです。たまたま自分で発見できて良かったですけど、周囲の人たちには『必ず検診は受けて!』って言っています。早期であればあるほど治しやすいですからね」