37歳で死去「道長の甥」伊周が遺した“最期の言葉” 道長はライバルである伊周をどう思っていた?
「やぁ、やぁ」と伊周は叫びますが、場所は狭く、人も多いため、そう簡単に、この状況から抜け出すことはできません。 その伊周の様子は、まことに見苦しかったと『大鏡』は記しています。伊周が直接的に悪いことをしたわけではないのですが、見栄を張って外歩きをしなかったならば、このような事態は起こらなかったのに、と同書は付け加えてもいます。 ■道長と伊周に関するデマが流れる また『大鏡』は、道長と伊周の次のようなエピソードも載せています。
道長が金峯山寺(奈良県吉野山にある修験道の中心寺院)に参詣したときのことです。その途上で、「伊周方が不穏な企てをするのではないか」との噂が飛び交いました。 道長方も警戒したようですが、特別なことは起こらず、無事に道長は帰還します。「不穏な企て」というのはデマだったようですが、その噂は、伊周の耳にも入りました。そして、それが道長にも伝わったということも知るのです。 伊周は「笑止千万なこと(非常にばかばかしい)」と思ったようですが、そのままにしておくのも悪いと感じ「誤解」を解くために、道長に会いに出かけました。
伊周と対面した道長は、面白可笑しく参詣道中の話をしたようですが、伊周の様子は、どうもオドオドしています。道長から何か責められると思ったのでしょうか。 道長は可笑しいと思いながらも、気の毒に感じ「最近、双六(すごろく)をしていないので、気が晴れません。どうです、双六をしませんか」と場をほぐそうとしました。 『大鏡』は、道長のその言動を、伊周に対する同情の心があるためだとしています。道長は、双六盤を取り寄せて、盤面を拭うなど、準備に勤しみます。
そうこうしているうちに、伊周もようやく心が落ち着いてきたようです。道長も伊周も双六が大好きだったようで、着物を脱ぎ、腰だけを覆った姿で、双六を楽しみました。それも、明け方まで。 道長と伊周がこのように打ち解けたら、伊周は子どものような性格であるため、すっかり気を抜いて、また何かやらかさないかと、周囲の人々はヒヤヒヤしていたようです。 ちなみに、この双六勝負には賭けものがありました。伊周は、古い何とも言われぬ由緒ありげな物。道長は、新しく面白みのあるもの。具体的に何を指しているのかはわかりませんが、とにかく2人は、賭けものを考えて、双六勝負に臨んだのです。『大鏡』によると、伊周は終始負けっぱなしだったようでしたが……。