「四無」の尹錫悦大統領のおかしくも悲しい猿芝居【寄稿】
ムン・ジョンイン|延世大学名誉教授
現職大統領のいかれた暴挙には、めまいがして怒りがこみ上げてくる。12月3日に非常戒厳令を宣布してはみたものの、すぐに解除して国民に謝罪。かと思えば12日には、非常戒厳は「高度な統治行為」だったと主張しつつ、「最後まで闘う」と表明。この「おかしくも悲しい」猿芝居は、最終的に弾劾案の国会可決で終わった。職務が停止された彼の行動を振り返ってみれば当然のことだ。 第一に、彼は「無道」な大統領だった。無道とは原則、道理、価値に反する粗暴な行いをいう。自由民主主義と国際連帯は尹錫悦(ユン・ソクヨル)の専売特許だった。しかし、肝心の本人は自由民主主義の敵だった。「反国家勢力による大韓民国体制転覆の脅威から自由民主主義を守る」という美名の下、非常戒厳を宣布し、自由民主的憲政秩序を破壊しようとしたからだ。 自由民主主義において、国家は個人の単なる集合であり、市民の利益と選好性を反映する中立的な器に過ぎない。しかも大統領は国民の代理人、下僕だ。しかし、尹錫悦は自らが主となって自分を国家と同一視し、自分に敵対的な人々を反国家勢力と罵倒することに没頭した。無道の極致だ。尹錫悦があれほど嘆く巨大野党による弾劾、立法暴走、予算壟断は、先進民主主義国家ではよくあることだ。それを理由として非常戒厳令を宣布し、反対勢力を抑圧するなど、自由民主主義の基本的な道理に背く行為だ。 第二に、尹錫悦は「無法」な大統領だった。戦時または事変という戒厳宣布の要件が満たされていないにもかかわらず、戒厳を強行した。そのうえ、軍を動員して国会の憲法的権限を無力化し、憲法機関である中央選挙管理委員会の庁舎への軍の投入と電算サーバの情報の奪取を試みたことは、明白な違法・違憲行為だ。国会議長、与野党の代表、批判的な政治家、ジャーナリスト、元最高裁判事、そして野党代表に無罪を言い渡した現職の判事を戒厳宣布と同時に逮捕対象としたことは、法治主義と憲法上の権力分立原理を大きく損なうものだ。検察総長まで務めた法曹人のこのような行為は、実に不可思議だ。 第三に、彼は「無知」な大統領だった。政策懸案についての客観的な事実にも弱く、フェイクニュースを信じて流布することに馴染んだ人物だった。4回目の談話で、それは克明にあらわになった。国会に動員された兵力は小規模だったという供述はうそであることが明らかになった。国会特活費予算はかなり前から減っていたのに、増えたと主張したかと思えば、チェコへの原発輸出の支援予算が90%削減されたという誤った主張も展開した。予備費が減って災害対応が難しいというのも事実ではなく、児童保育手当ての一方的な削減も事実とはかけ離れている。 尹錫悦は、戒厳令発動は「国民に巨大野党の反国家的な邪悪さを知らしめ、それをやめるよう警告」することを目的とした「警告のためのもの」だったという詭弁(きべん)を並べ立てた。しかし、それを反証する証拠はあふれている。自身は4回目の談話で「国会を妨害するなと言った」と強弁しているが、戒厳宣布後に6回も警察庁長に電話をかけ、「全員捕らえろ。戒厳法違反だから逮捕しろ」と自ら指示を下したという証言もある。「巨大野党の議会独裁と暴挙によって国政がまひし、社会秩序が乱されているせいで、行政と司法の正常な遂行が不可能な状況」だとの主張も、韓国が「スパイ天国、麻薬の巣窟、組織暴力団の国」へと転落するだろうという懸念も、やはり客観的根拠のない扇動的フェイクニュースに過ぎない。 最後に、彼は「無能」な大統領だった。政治力と実行力がゼロだという意味だ。政治は不可能を可能にする芸術だ。しかし、彼は可能なことも不可能にする引き算の政治をしてきた。検察特有の上命下服と位階秩序が染みついている彼には、傾聴の美徳はもちろん、対立の調整や解消の能力はまったくなかった。民主主義よりも権威主義の方が楽に感じているようにみえる指導者だった。実行力にも深刻な問題がある。今回の戒厳事態だけをみても、指揮統制に顕著な欠点がある。無関係の軍と警察の有能な人材を内乱の共犯者にして、身を亡ぼす道を歩ませた。このような指導者に国を任せるというのは、いかに危険なことか。 2016年の朴槿恵(パク・クネ)弾劾の際、「昏庸無道」という四字熟語が流行した。「愚かでひ弱な君主の失政で世の中が乱れ、道理がまともに通用しなかった」というわけだ。しかし尹錫悦は愚かな君主「昏君」と暴悪な君主「暴君」が重なって見える。国会での弾劾案の可決はどれほど幸いなことか。さあ、憲法裁判所で内乱首魁(しゅかい)の最期がどうなるか、目を見開いて見守ろう。 ムン・ジョンイン|延世大学名誉教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )