ヴィッセル初優勝を支えた謙虚なヒーロー・山川哲史が貫いたクラブ愛。盟友・三笘のドリブルパートナーからJ1屈指の守備者へ
盟友・三笘薫のドリブルパートナーからJ1屈指のCBへ。「結果は後からついてくる」
ここでひとつ疑問が残る。佐々木のように、山川もU-18から直接昇格できなかったのか。 実は昇格のオファーを受けながら自信のなさと、教員免許取得を理由に断りを入れていたのだ。そして、16年春に進学した筑波大で、川崎フロンターレU-18からトップチーム昇格を打診されながら「中長期的なビジョンで、自分自身やサッカーを見つめたい」と断りを入れたMF三笘薫と出会った。 目標に掲げた日本代表入りや海外移籍から逆算したときに、自分には何が必要なのかと三笘は自問自答を繰り返した。弾き出された答えが唯一無二の武器を持つことであり、大学の4年間をかけて求め続けたのがドリブル。全体練習以外の時間に、練習パートナーに指名されたのが山川だった。 頭にGoProカメラを搭載しながら、山川を相手にドリブルの視線を徹底的に分析した成果は、タイトルに「サッカーの1対1場面における攻撃側の情報処理に関する研究」と打たれた卒業論文にまとめられ、ブライトンの左ウイングとしてプレミアリーグを席巻するいま現在につながっている。 「原点ではないと思いますけど、もう毎日のように切磋琢磨しながら成長できた4年間だったので、あれが彼のいま現在につながってくれていたら、僕もちょっと嬉しいなという感じですね」 体調不良や足の違和感で10月以降の代表シリーズを欠場している三笘だが、第二次森保ジャパンでも三笘はエースを拝命している。その三笘やFW上田綺世、MF旗手怜央ら攻撃陣を擁し、世界一になった19年のユニバーシアード・ナポリ大会で山川も最終ラインに名を連ねていた。 伝説として語り継がれている決勝では、上田のハットトリックに旗手のゴール、そして三笘の3アシストで4-1と圧勝した。盟友と再び共闘するとすれば、それは森保ジャパンしかない。 「どちらかと言うと、もう何か友だちとか言うのもおこがましいぐらいのすごい選手になっちゃったので、これ以上離されないように、少しでも追いつけるようにこれから頑張りたいと思います」 筑波大やユニバーシアード代表でのプレーが評価され、神戸からのオファーを勝ち取って帰還した山川のパフォーマンスを、イングランドの地でチェックしているからか。時々ラインなどでメッセージを送ってくるという三笘に抱く思いを問われた山川は、こんな言葉を残している。 「まずは自分の与えられた環境で、全力を出し続けることがすべてだと思っています。結果はその後についてくるものだと思っているし、とにかく今シーズンもそうですけど、やっぱり目の前の1試合1試合を常に全力でプレーして、積み重ねてきた結果が今日(の優勝)だと思うので。これからもそれは同じで、毎日、毎日を全力でプレーして、僕も成長していきたい」 敵地パナソニックスタジアム吹田に乗り込む12月3日のガンバ大阪戦で、神戸は歴史に残るシーズンを終える。もっとも、センターバックとして成長を遂げた山川には続編が待っているかもしれない。 森保ジャパンは来年元日に、国立競技場でタイ代表との国際親善試合に臨む。史上初の元日代表戦には三笘を含めて、ヨーロッパ組のスケジュールの関係で国内組が数多く招集されると見られる。一歩ずつ、確実に成長を遂げてきた山川はJ1屈指のセンターバックとして、7日に発表される代表メンバーに名を連ねてもおかしくないポジションにいる。 <了>
文=藤江直人