自分の過去が暴かれるかもしれない恐怖を描くスリラー「ディスクレーマー 夏の沈黙」
アルフォンソ・キュアロン監督による丁寧な心情描写
これまで「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」「ゼロ・グラビティ」といった壮大な冒険譚(たん)から、「ROMA/ローマ」などのリアルに寄りそうヒューマンドラマ映画まで、幅広い作品を手がけてきたキュアロンだが、彼は2時間前後の映画であっても丁寧に登場人物の心情の揺れ動きを観察し、キャラクターに寄り添う脚本づくりを入念にこなしてきた監督だ。 そんなキュアロンが全7話にわたるシリーズ作品を手がけたともなれば、その心情描写がより深みを増すことは自明。彼はそれぞれのキャラクターの焦燥、当惑、憎悪、怒り、悲哀、愛情といった感情を余すことなくくみ取ることで、物語を構成するミクロな各要素にスポットを当て、それと同時に複数の人間が織りなす大きなスリラードラマというマクロな全体像も衝撃を伴って描き上げることに成功している。これはキュアロンならではの丁寧な心情描写と、ドラマシリーズという長尺のフォーマットがかけ合わさったことで実現したクオリティーといえよう。 そして、その〝丁寧な心情描写〟を具現化させたのが、錚々(そうそう)たる豪華出演陣。過去に米アカデミー賞の演技賞を2度獲得し、ほかに6回ノミネートされているケイト・ブランシェット、「ワンダとダイヤと優しい奴ら」(88年)で同賞助演男優賞を受賞しているケビン・クライン、同賞助演男優賞と助演女優賞にそれぞれ1回ノミネートされたコディ・スミット=マクフィーとレスリー・マンビル、同賞助演男優賞、脚本賞、脚色賞にノミネートされたサシャ・バロン・コーエンという、圧倒的な実績を誇る盤石な布陣によるまさに〝演技合戦〟が展開された。
感情をかき乱される、エモーショナルな作品に
今作には最初から最後までキャラクターの感情がかき乱され、押しつぶされるようなシーンが多いが、撮影スタイル自体は静かで、大げさな演技もない。それでも我々観客がキャラクターと一緒になって感情をかき乱され、押しつぶされるほどエモーショナルな作品に仕上がったのは、圧巻のキャスト陣の魂の乗った演技のたまものだ。 魂といえば、ケイト・ブランシェット演じるキャサリンの若年期を演じ、決してブランシェットとビジュアルがうり二つというわけではないにもかかわらず、確実に同じ魂が宿った演技を残したレイラ・ジョージの演技も非常に印象的だ。 元々AI(人工知能)技術を使ってブランシェットが演じるはずだったところ、AI技術を使用することへの違和感からキュアロンとブランシェットが別のキャストを探すことにしたそうだが、レイラ・ジョージはブランシェットが演じるキャサリンを見事に自身のキャラクターとして昇華しながら、〝小説のキャサリン〟と〝記憶のキャサリン〟という同じ姿でも異なる人物を演じ分ける役割をまっとうし、物語のキーとなる小説パート、回想パートに説得力を持たせた。 今作は〝ひとりの人間の認知できる現実の限界〟を改めて感じさせる物語だ。レイラが演じ分けた〝解釈と事実〟の違いもその一例だが、無数の人々の人生物語が織り混ざってできた、身の回りの世界全体の物語を、すべて把握できる人間はいない。人々は自分の信じたい方向へ、自分の知識・観察によって把握できる範囲でしか、世界を思い描けない。ある人間にとっての現実が、相手にとって現実とは限らない。そんな〝現実の揺らぎ〟に対面した人間たちの感情の揺れと、それによって崩れ去ってしまう幸福を、名匠キュアロン監督と豪華キャストは「ディスクレーマー 夏の沈黙」で描き上げてみせたのだ。 「ディスクレーマー 夏の沈黙」は、AppleTV+にて配信中。
ライター ヨダセア