「教員不足」解消のための緊急方策は、教育に何をもたらすか
◇教員養成に大学が関わることは、社会と大学の双方に意義がある 教員不足が叫ばれている中だからこそ、いまむしろ、「大学における教員養成」という基本にかえった丁寧な議論が求められるのではないでしょうか。それは主に、二つの方向から語ることができると思います。 第一は、戦前の師範学校教育への批判意識をスタートにしてきた「教員養成を大学において行うことの重要性」に関する議論を今日的にアップデートすることです。 師範教育批判は、言い換えれば、そこで教授される内容がどこかで誰かが定めたものの枠組みに規制されているのではなく、常に探究と更新の対象として扱われる研究の場としての大学への信頼と期待です。また、入学生の圧倒的多数が18歳である日本の場合は、大学が青年期教育の場として持つ意味も見逃せません。 現在の学習指導要領のスローガンは「主体的・対話的で深い学び」ですが、教員自身が主体的・対話的な学びをした経験がなければ、それを子どもたちに体感させる教育はできないでしょう。 誰かが“これが現在の課題だ”と設定したものについて調べ学習をするのではなく、自ら現状を分析して課題を明確にし、テーマを設定し、対応策やストラテジーを自力で立てて学ぶということは、大学教育での基本とされてきました。それをやれる力を育てるのが大学教育全体としての責任であり、また、大学で教員養成を行う最大の強みだと思います。 第二は、一つ目に比して語られることが少ないですが、「教員養成に関わることが大学の側にとって持つ意義・恵み」を再考する議論です。 学問が継続して発展していくためには、当然のことながらその分野を担う後継者を安定的に確保し続けることや、広く市民の間でその学問が認知されることが必要です。そのためには、小・中・高等学校の教育によって、その学問分野への子どもたちの興味関心、もう少し広く言えば研究することそのものへの憧れが引き出される必要があります。 研究の発展は、傑出した学者ひとりの仕事によるだけではなく、小・中・高等学校の教育の担い手である教師によっても支えられているのです。大学が、学ぶことのおもしろさ・奥深さを知っている教員を育てることは、それ(教員養成)を通じて、大学自身が長期的な恵みを得ることにもなるのです。 教員不足は、日本においてはむしろ顕在化するのが遅かったというほど、国際的には長く続く共通の問題です。そして、その対応策において「大学における教員養成」をスキップ・迂回する促成策がとられることもまた共通して見られることであります。 しかし私は、教員不足に対応しようとして促成策ばかりを講じるのは、近視眼的でむしろ悪手であろうと思います。ごく短期的にはそれが不足数解消に役立つかに見えたとしても、長期的には教育の質を掘り崩し、子どもたちの憧れの対象から学校の先生という職業をはずしていくことになりかねません 一見回り道に見えるかもしれませんが、教員不足に対しては、やはり学校職場を教師の仕事が本来持っている魅力・手応えを実感できる状態にし、人々に教職を選んでもらえるようにするしかなく、そのためには教育行政の役割が最重要ですが、大学も新たな事態――例えば教員採用試験の大学三年生への前倒し実施――にどう対応するのかが、問われていると思います。
高野 和子(明治大学 文学部 教授)