<春の涙、いま・私のセンバツ>守備に定評、まさかの落球 「経験は財産」仕事に生かす
3月18日に第95回記念選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)が開幕する。センバツの晴れ舞台で思うようなプレーができなかった元球児たちは今どうしているだろうか。苦い春が生きる力になっているのか、それとも――。 【第95回センバツ出場決定 各校の喜び】 ◇08年出場、下関商・中屋孝宏さん(32) 「パパが出た大会だよ」。山口県下関市の文教地区に建つ下関商業高校。校内の一角に野球部の甲子園出場を記念する石碑がある。家族と一緒に久々に母校を訪ねた中屋(旧姓・竹野内)孝宏さん(32)は、15年前に思いをはせた。 2008年春。前年秋の中国大会を制し、29年ぶりにつかんだセンバツ切符だった。当時の監督、佐々木大輔さん(55)は「物おじしない子が多く、ぶつかることもあったが面白かった」と振り返る。 古豪の久々の甲子園に下関の街は盛り上がった。初戦の3月23日、アルプス席は地元勢の相手、履正社(大阪)に劣らぬ大観衆で埋まり、紫と白のウインドブレーカーで「S」の人文字が描かれた。中屋さんは「わくわくしていた」。 だが、守備の際に味方同士でかけ合う声が、地鳴りのような歓声にかき消される。センターを守っていた中屋さんは二回、左中間への飛球を追った際に左翼手と衝突し、相手は脳しんとうで救急搬送された。「あいつを絶対に次の試合に立たせよう」と下関商打線は奮起し、九回表に2本のホームランで追い付く。球場はどよめきで揺れた。 2―2で迎えた延長十回裏2死二塁。中屋さんの左にふらふらと飛球が来た。やや後ろに下がり過ぎ、一歩前に出ようとしたが足が動かない。ボールは差し出したグラブの土手に当たってこぼれ落ちた。サヨナラのエラー。青々とした芝に崩れ落ちて泣いた。 仲間に抱えられるようにして引き揚げた。監督も仲間も誰も責めず、いつも通り接してくれた。下関に帰ると、みんな健闘をたたえてくれた。逆につらく、涙がこぼれた。だが最後の夏がある。グラブを新調して練習に打ち込んだが山口大会決勝で敗れ、再びの甲子園はならなかった。泣きじゃくるチームメートを中屋さんが励ます番だった。 現在は大学時代に知り合った妻の秀美さん(32)の実家が営む電気工事会社の社員となり、秀美さんと長男の凜汰朗さん(7)、次男の汰一ちゃん(5)とともに山口県萩市で暮らす。 華麗な守備で鳴らしていたのに、なぜ落球? 「もっとイメージできていたら捕れていたかもしれない」。今、中屋さんは仕事前に工具を念入りに準備する。甲子園での失敗に学んだ自分なりのルールだ。「今思えば財産です」。かわいい息子たちが夢中になれることを見つけて、いつの日か壁にぶち当たった時、あの春の出来事を話そうと思っている。【戸田紗友莉】