センバツ高校野球 別海 島影隆啓監督 コンビニ副店長の奇跡 /北海道
◇4人からスタート、小さな一歩重ね甲子園 野球指導者は一時は諦めた道だった。だが、もう一度と背中を押されて就任した公立高で奮闘を続け、わずか16人の選手を率いて甲子園へたどり着いた。今春のセンバツ出場校に21世紀枠で選ばれた別海を率いるのは、島影隆啓(たかひろ)監督(41)。コンビニエンスストア副店長の肩書も持つ、異色の指導者の歩みはドラマに満ちていた。【後藤佳怜】 【写真で見る歓喜の瞬間】歴代のセンバツ覇者たち 第96回選抜高校野球大会の出場校を決める選考委員会が開かれた1月26日。歴代最東端からの甲子園大会出場が決まると、島影監督の脳裏には、着任後の8年間の記憶が走馬灯のように駆け巡った。「私を信じて頑張ってくれた選手、保護者、卒業生、町の人に、やっと『夢、かないました』と報告できる」と笑みを浮かべた。 島影監督は別海町中春別出身。実家は30年近くコンビニ「セイコーマートしまかげ中春別店」を営んでおり、本業は「監督ではなく副店長」だという。 副店長の朝は早い。午前3時に起き、まずは店舗内で調理した総菜コーナー「ホットシェフ」に並べるおにぎりと揚げ物作りに取りかかる。毎朝白米4~5キロを炊き、約1時間半かけて握るおにぎりは70個近く。フライドポテトや唐揚げも手早く準備し、商品の発注業務もこなす。 午後からは、おにぎりをバットに握り替えてグラウンドに向かう。前任校での教え子で、7年前から別海でトレーナーを務める大友孝仁さん(31)は「選手の前では出さないが、2人きりになると疲れた表情が見えることも。家業と監督を両立する行動力と情熱はまねできない」と語る。 3人の子の父親として家では家事育児も担う島影監督自身、「練習試合や大会の遠征で家を空けることも多く、家族には負担をかけている。もっと家のことをしたいんだけどね」と悩みは尽きない。 それでも「別海のみなさんに恩返しがしたい」と奮起するのには理由があった。「二度と野球の指導者はできないのか」と落ち込んだ過去があるからだ。 ◇町民に愛されるチームに さかのぼること17年。24歳だった島影監督は、大学卒業後に入った会社を辞め、母校の武修館で野球の指導者となった。野球部の恩師の誘いがきっかけだった。青年監督として力を発揮し、2010年夏の北北海道大会で準優勝するなど実績を重ねた。だが、13年に突如、解任を告げられる。学校側から明確な説明はなく、保護者が署名を集めても方針は覆らなかった。「指導の継続を望んでくれる選手、保護者に応えられず、やるせなかった」。心が折れた。 地元の別海町に戻ると、知人の勧めで少年野球チームのコーチに。高校生の指導とは違ったが、野球に関われるうれしさに変わりはなく、選手や保護者、町役場の人々との交流が支えだった。 16年、再び道は開ける。「別海高校の監督をしてみないか」。推薦してくれたのは、少年野球チームの指導を通して親しくなった町の人々だった。「町民に愛されるチームに育て、恩返しする」と固く誓った。 就任当初、2、3年生はたった4人。少年野球チーム監督時代に知り合った新入部員6人を加え、取りかかったのは練習環境の整備だった。グラウンドは土が足りず、冬季に欠かせないビニールハウスの屋内練習場は、天井にも壁にも穴が開き雑草まみれ。ボールは必要な量の4分の1ほどしかなく、ノックや打撃練習も満足にできなかった。 だが公立の別海には、設備を一気にそろえる予算はない。保護者や卒業生、町民らの協力を得てトラクターでグラウンドに土を入れ、練習試合の際には他校から余ったボールを譲り受けた。「8年かけて、やっと『良いグラウンドですね』と褒められるようになった」と誇らしげに笑う。 並行して、チームの強化にも力を入れた。重視したのは、プロの外部指導者との役割分担だ。 打撃、投手指導は、元社会人野球選手の小沢永俊コーチと渡辺靖徳トレーナー。体作りは、大友さんが担う。3人とは前任校時代からの長い付き合いだ。体のケアを担当する佐々木護トレーナーの存在も欠かせない。 「人に恵まれ、4人のプロの力で選手が強くなった。監督は、プロデュース業に徹するだけ」と島影監督。選手が少なく紅白戦ができないため、週末の練習試合では往復4時間かかる場所にも向かう。冬はコンビニのトラクターでグラウンドの雪を平らにならし、練習場を作る。そうやってチームを育ててきた。 地道な取り組みが実を結んだのは昨秋、札幌ドームで開かれた道大会だ。それまで別海は釧根地区大会を突破した後の道大会では春、夏、秋を通じて未勝利。緊張した選手が、自信を持ってプレーができないことが課題だった。 「『田舎もん』なところが出ちゃうというか。自分たちの力が通用するか不安になってしまっていた」。練習では、「ここはどこだ?」「札幌ドームです!」というやりとりを繰り返し、メンタル面も鍛えた。 そのかいもあり、道大会では接戦での強さを発揮する。初戦で逆転サヨナラ勝ちを収めると、続く準々決勝も延長戦を制して4強入り。選手がベンチ入り上限の20人に満たない中、「別海旋風」を巻き起こした。 町で唯一の高校である別海にとっても、島影監督にとっても初めての甲子園。「出場を決めて、別海町をひっくり返す大騒ぎにしようと勇んでいたけど、本当にお祭り状態。ありがたい」。喜びに浸りつつも、視線は前を向いている。「出るからには全国制覇を目指す」。小さな一歩を重ねて大きな奇跡を起こした島影監督の「恩返し」は、まだ終わらない。