フェンシング・飯村一輝、父・栄彦さんのジュースに釣られ競技の道に 男子フルーレ団体が初の金
「パリ五輪・フェンシング男子フルーレ団体・決勝」(4日、グランパレ) 男子フルーレ団体決勝で、松山恭助(27)=JTB、飯村一輝(20)=慶大、敷根崇裕(26)、永野雄大(25)=ともにネクサス=で臨んだ世界ランキング1位の日本は、イタリアを45-36で下し、初優勝した。フルーレでの日本の金メダル獲得は初めてで、東京五輪の男子エペに続く2大会連続の団体制覇。全日程を終了し、日本は個人と団体で金2、銀1、銅2のメダルを獲得した。 ◇ ◇ 飯村は、1本のジュースをきっかけに競技の道に入った。元選手でコーチの父栄彦さん(47)は、五輪メダリストの太田雄貴さん(38)を教えた名伯楽。その父に導かれた五輪の舞台で躍動し、「チーム一丸で世界一を達成できて本当によかった」と笑顔を輝かせた。 栄彦さんは幼い息子を連れ、自身や太田さんの出身校でもある京都市の龍谷大平安高へ指導に行っていた。ただ、飯村にとってそこは単なる遊び場。恐怖心があり、競技を始めることには後ろ向きだった。 「ジュース買うたるし行こう」。小学生になった頃、そう言われて栄彦さんの先輩が教えるフェンシングクラブに渋々ついて行った。そこで剣を握ることになり、フェンシング人生が始まった。 クラブに通い始めてからも、家では栄彦さんが教えた。全国大会の前は、毎日練習メニューを決めて特訓。リビングの家具をどかして剣を交えた。実家の天井は剣の跡で傷だらけだ。 相手の不意を突き勝機を見いだすフェンシングでは、時にずる賢さが必要となる。だが「私生活にそういうのが1ミリも見えない不思議なやつ。アスリートに向いてないんじゃないかというぐらい」と栄彦さん。3きょうだいの長男は、末っ子が泣いていると泣きやむまで話を聞き、自分の食べ物を譲る優しさがあった。 日本フェンシング勢最年少として挑んだパリ五輪。個人戦ではわずかに及ばずメダルを逃したが、仲間とともに頂点に立った。栄彦さんは会場で声援を送り、飯村が得点するたびにガッツポーズ。初めての大舞台で、団体戦アンカーの重責を果たした息子をねぎらい、試合後は惜しみない拍手を送った。