「新幹線だけの駅」本庄早稲田、知らない間に大発展していた 駅名ばかりで判断すると「真の姿」を見誤る
早稲田の3文字を見ると、多くの人は、早稲田大学(早大)をまず思い出すのではないだろうか。 【写真を見る】イメージしていたのと違う?在来線は通っておらず、一部の新幹線しか停まらない本庄早稲田駅。駅周辺はいったいどんな様子なのか? 大隈重信が東京都新宿区に設立した東京専門学校が、大学への昇格を機にこの名称になったのは、この地域が早期に収穫できる稲の産地であり、早稲田という地名だったことに由来する。同様の経緯で早稲田を名乗る地名は全国に存在する。 ■2024年で開業20周年 しかし近隣にある東京メトロ東西線早稲田・副都心線西早稲田駅や都電荒川線早稲田停留場は、大学ができてから生まれたので、最近増えつつある「大学駅」に分類できるかもしれない。
【写真】イメージしていたのと違う? 在来線は通っておらず、一部の新幹線しか停まらない本庄早稲田駅。駅周辺はいったいどんな様子なのか? 筆者は早稲田実業学校(早実)中等部~同高等部~早稲田大学と進学した。現在は国分寺市にある早実は、この頃は大学の近くにあったので、10年間にわたり早稲田駅や早稲田停留場を使い続けてきた。 ところで「早稲田」が入る駅名は、この界隈以外にもある。それが埼玉県本庄市にあるJR東日本上越新幹線の本庄早稲田駅で、上越新幹線が走りはじめた22年後の2004年3月13日に開業した。つまり今年で20周年となる。
なぜ本庄早稲田なのか。駅名決定を伝えるJR東日本のニュースリリースには、地元で駅名を公募した結果が上位で、地元自治体からも要望があったことに加え、駅の南側に広がる大久保山丘陵地に早稲田大学の施設があり、「早稲田山」 として地元に親しまれていることを挙げている。 実は本庄市と早稲田大学の関わりは古い。太平洋戦争後の経済成長で、早稲田地域のキャンパスが手狭になると感じた早大が、本庄市に目をつけたのは1961年。今から60年以上も前のことで、翌年から土地の取得が始まっている。
1963年には、東京六大学野球の「早慶戦」、学園祭の「早稲田祭」と並び、早稲田大学三大名物行事のひとつとされる、「本庄~早稲田100キロハイク」が、早大公認サークルである早稲田精神昂揚会の手で始まっており、今年も5月に行われた。 一時はキャンパス全面移転を期待する本庄市と、新たな学部の設置程度と考えていた早大の間に温度差が生まれたが、まず1970年にセミナーハウスが竣工すると、早稲田大学創立100周年を迎えた1982年には、付属校の本庄高等学院が設立された。