〝安楽死〟は家族のため―― 「死にたい」娘のエゴ、「生きてほしい」親のエゴ 涙ながらに口に入れた致死薬
「死んではいけない」止めた医師
異変に気付いたプライシック医師が、泣きじゃくるくらんけさんに尋ねた。 医師:「どうしたの」 くらんけさん:「私は両親や家族を無視することができません」 医師:「ストップして。あなたはお父さんと一緒に家に帰るべきよ。あなたは心の準備ができていない。今、死んではいけないわ」 くらんけさん:「ごめんなさい」 医師:「大丈夫。あなたは両親にこんな仕打ちをしたくないと思っているのよ。とても勇敢だわ。運命があなたにもう少し生きることを望んだのよ」 くらんけさん:「はい」 その瞬間、父親は嗚咽しながら、娘を目一杯の力で抱きしめた。
娘と帰国へ 笑顔を見せた父親
安楽死を直前で取り止めたくらんけさんは、口に含んだ致死薬を吐き出し、1時間ほど横になった後、私に話をしてくれた。 「今まで家族に助けてもらったことが、揺らぎの要因です。今日死ななかったことを悔やむ日が絶対に来ると思います。それでも、家族との時間を優先しようと思うのも私の選択です」
2度と来ることはないと思っていたチューリッヒ空港には、くらんけさんと車椅子を押す父親の姿があった。スイスに降り立って以来、終始、強張った表情をしていた父親は、別人のような笑顔を見せた。
取材を終えて
スイスで安楽死しようとしたくらんけさんが、日本に戻ってから3年。私は2024年2月、再び九州地方に住む彼女のもとを訪ねた。 「あの時、死んでおけばよかったという思いは日増しに強くなっていて、ただ後悔するばかりの日々です。死ななかったからといって病気が治るわけではないし、あらためてそれを突きつけられた気がしました。今も安楽死したい思いは、全く変わっていません」 そう話すくらんけさんは、帰国後に自身のこれまでの人生と体験を記した1冊の本(「私の夢はスイスで安楽死」(彩図社))を出版した。そこには、安楽死を選択する「娘の意思を理解しなければならない」と思いながらも、「それでも生きてほしい」と切実に願う両親の苦悩の言葉が紹介されている。 「可能な限り『娘が望む人生の送り方』を、親としてこれまで以上に支え受け入れる努力をしたいと思っています」(父) 「私の願望が娘の苦悩を上回ってしまっている自覚はある」「できる限りずっと私が支え、一緒に過ごしたい思いは変わらない」(母)
私は初めてくらんけさん(当時28)と会った際、このケースで安楽死が認められるのは適用範囲が広すぎるのではないかと、内心思っていた。 しかし、20年以上にわたる闘病生活が彼女の人生に与えたダメージの重さは、私の想像をはるかに超えていたことを、5年にわたる取材を通して痛感している。 彼女は今も「死にたい自分」と「生きてほしい家族」の狭間で生きている。そんな彼女に、私は「あなたにとって、家族とは何ですか」と尋ねた。 「家族は私の生命線の最後の砦です」 ※この記事は、TBS テレビと Yahoo!ニュースによる共同連携企画です