NHKとテレ朝の聴取で注目、昔からあったテレビへの“圧力”と“介入”
一方、政府や企業の提供番組が放送局内部で問題視され、中止になった事例もあります。 1967年、愛媛県の南海放送は総理府提供の「この人と15分」の企画として、高校生を自衛艦に招待し、その模様を放送しようとしましたが、南海放送労組などが異論を唱え、番組は中止になりました。1972年には時の総理だった田中角栄氏の名を冠した「田中総裁杯争奪大分県自民党ボウリング大会」を中継しようとした大分放送に対し、これも労組が反対。番組は同じ大分の別の放送局で中継されました。 電力会社による「持ち込み企画」も問題になっています。例えば、1978年には東日本放送が東北電力の依頼を受け、事実上のPR番組「どうなる女川原発」を制作・放映しようとしましたが、下請け映像会社が「あまりにも一方的な内容」と反発。番組は完成しませんでした。似たような事例は各地の放送局でも幾度か起きています。 政府広報や企業PR番組を問題視するのは、主にテレビ局関係の労組などでした。
こうした分類にとどまらない“事件”も頻繁に起きています。オウム真理教・坂本弁護士拉致事件に絡んで、TBSが取材テープを教団側に見せていたケースなどはその最たるもの。当時、筑紫哲也氏は「TBSが死んだ日」と番組内で語りました。また、森喜朗首相が窮地に陥った際、記者会見をどう切り抜けるかをNHK記者がアドバイスした「指南書事件」も起きています。 テレビの影響力はかつても今も、計り知れないほど大きいと言えます。だからこそ、「テレビをうまく利用しよう」「意のままにコントロールしたい」という勢力は常に存在しており、その最前線では“圧力”をめぐる事件がつきまとっているのです。