レースクイーンから女優に…濡れ場でバストを披露、元夫の1億円の肩代わりも「高島礼子」の姐御伝説
初めて買った車は中古のスカイライン…レース代や車代の資金を稼ぐためにレースクイーンに
’24年に入り『瞼の転校生』や『わたしのかあさん-天使の詩-』といった出演映画が立て続けに公開、5月2日放送の『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)では「女優人生終わり」と覚悟した若手時代の複雑骨折エピソードを披露するなど、映画、ドラマ、バラエティで活躍中の高島礼子。“極妻”や元夫の逮捕・離婚騒動などのイメージが強い彼女だが、それまでもインパクトのある人生を歩んでいる。 【画像】元夫”同志”との過去画像と「絶対に許せない」胸にしまっている逮捕時の現場 高島礼子は1964年7月25日生まれ、横浜市出身。16歳でバイクの免許を取り、18歳で自動車免許を取得。初めて買った車は中古のスカイラインだった。横浜市出身で、高校卒業後は自動車会社に就職し3年間務めたのちに退職し、その後すぐに国内A級ライセンスを取得、レースに出場するほど車にのめり込んだ。 しかし「結局2戦したんですけど結果は語れないくらい悲惨なもので。ボコボコ相手にぶつかったり、一人でクラッシュしたり。」(FLASH‘97年6月1日臨増号)、「何台もクラッシュさせて車を壊しているうちに大変なことになりました。自分の貯金もつぎ込んでいたんですが、すぐ底をついちゃって。」(週刊ポスト‘03年1月1・8日合併号)と、よい結果を残すまでには至らなかったようだ。 そのレース代や車代の資金を稼ぐためにレースクイーンとなり、モデル事務所に所属、モデルとして活動を開始する。 その一環で‘88年に出演した「とらばーゆ」のCMが松平健の目に留まり‘89年にドラマ『暴れん坊将軍Ⅲ』で御庭番役として女優デビューすることに。 25歳と遅咲きのデビューではあったが、京都の太秦撮影所での撮影の日々は大きな経験を高島に与えてくれた。 「周りから早く嫁にいたほうがいいとか、キミは芸能界で生き残っていくような性格じゃないよとか、いろいろ言われました」(FLASH‘97年6月1日臨増号)というものの「太秦の撮影所でもまれたあの経験はものすごく貴重で、今も東京で仕事するときの原動力になっています。」(家の光‘22年1月号)と当時を振り返っている。 ◆代役でつかんだ映画初主演…濃厚なラブシーンも話題に ‘93年に映画『さまよえる脳髄』の主演女優が降板、代役として高島に声がかかり映画初主演。全裸ヌードシーンがあると聞かされ「私にとって、もしかしたら、これがラストチャンス。」(アサヒ芸能‘03年4月24日号)と覚悟を決め、神田正輝と胸を窓ガラスに押し付ける濡れ場をはじめ、濃厚なラブシーンを演じた。この体当たり演技で女優としての評価が上がり、順調に出演作を増やしていく。 また「学生時代から高倉健さん富司純子さんの映画が好きで、樋口可南子さんの『陽炎』も大好きな作品だったんです。ですから、このお話があったときは、もう、夢のようでした」(キネマ旬報‘96年2月1日号)と、任侠映画に憧れがあった高島は『陽炎2』でベテラン博徒、不知火おりんを熱演。このころから女優としての存在感を増していく。