羊飼い兼業作家・河崎秋子氏、自伝的エッセイ『私の最後の羊が死んだ』インタビュー 「食べたものや経験も含めた身体そのものを信じてやれることをやるのが一番だと思う」
交配も出産も哺乳も毛刈りも全て自力で行ない、〈母代わり〉に育てた羊であっても〈立てなくなった時点で私は淘汰する〉と決めた。販路も美味しい物好きで料理好きな〈食いしん坊の人脈〉のおかげで順調に広がり、シェフからも〈お客さんに出したくない〉と最高の賛辞をもらうまでになった。そんな中、再び書き始めたのが小説だった。 「2009年、20代最後の年です。羊飼いとして小規模ながら安定もし、フルマラソンに挑戦してみたりもする中で、今書かずにいつ書くのかと、思ってしまったんですよね。結果的にはあそこでもし書かなければ、二度と書くタイミングはなかったかもしれない。その直後に父が倒れ、家族総出で介護する生活が始まるんですけれど、人生ってホント、わかんないもんだなあと、つくづく書いてみて思いました」
家を出る決断に矛盾はなかった
羊の世話に家業に介護と、ただでさえ体力を消耗する中、河崎氏は執筆やマラソンも続け、2012年に3度目の挑戦で道新文学賞を受賞。2014年には『氷点』50周年を記念した1回きりの三浦綾子文学賞を受賞し、晴れて『颶風の王』でデビューを果たすのだが、この投函時のくだりがなかなか面白い。 その日、サロマ湖畔でのウルトラマラソンにエントリーしていた河崎氏は、奇しくも北見で敬愛する作家、桜木紫乃氏のサイン会があると知り、ある〈ゲン担ぎ〉を思いつく。まずは桜木氏と北見で握手をし、その手で原稿を投函したのだ。さらにサロマでは初距離だった100kmに挑み、完走は逃すが賞は受賞するなど、そうした場面の一つ一つがユーモアも交えて活写され、著者の人柄をよく伝える。 「あの頃は羊や牛の世話に介護やマラソン、それから母が始めたチーズの仕事までも、手放したら絶対後悔すると思ったんですよね。そうやって意地を張った結果、最善手を全く選べていないところは、実に私らしいと言いますか。 それでもやっぱり心身に無理が来て、次兄が別海にUターンしたタイミングで家を出ることにしました。大きな決断ではありましたけど、矛盾は一切なかった。インプットの時間も含めて、文章に向き合うことはそう簡単ではないし、別の町に住んで小説家になった今なお、羊飼いだった頃の思い出や経験は消えてなくなるわけではないですから」
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