「表現の不自由展」問題で「対立」激化 愛知県知事と名古屋市長の関係はもはや修復不可能?
市側に1カ月以上報告しなかった大村知事側
一方で、大村知事側の進め方にも不可解な点があります。 これまでの会見で、大村知事は少女像の出展など展示の詳細を芸術監督の津田大介氏らから聞かされたのは今年「6月なかば」だと説明。その際、「この内容で本当にやるのか、実物でなくパネルではいけないのか」などの「いろんな強い要望、希望は言った」と明かしています。それでも企画自体の実行は認め、県としては監視カメラの設置や警備員の増加など、安全面の検討にも入ったそうです。 そうした展示や安全対策の詳細などを県が名古屋市に伝えたのは1カ月以上経った7月22日午後。開幕の約10日前でした。このタイミングについて大村知事は13日、筆者の取材に「うちの事務方と津田さん、表現の不自由展の実行委員会さんの3者で見せ方や安全管理面などをずっと協議してきた」と説明。その協議が1カ月以上に及んだ結果だと言います。 一方の市側によれば、県の担当者は少女像を含む展示予定作品の一覧を示した上で、「これは決定事項の報告であり、市の意見を聞きに来たわけではない」などと伝えたそうです。その後、市の内部でも「報告を上げるタイミングを逸してしまい」、市長に伝わったのは開幕の前日になったという経緯です。 河村市長は衆院議員時代、国会議員有志らが米紙に「旧日本軍によって強制的に従軍慰安婦にされたことを示す文書は見つかっていない」などと訴える全面広告を出した際に名を連ね、市長就任後も「南京事件はなかったのではないか」などと発言して中国側の反発を招いています。 今回の展示も河村市長が強く反応することは当初から予想ができたはずで、それについて大村知事に投げ掛けると「内容について良い、悪いとまでは行政として言えないでしょう」と、一般論的な言い方でしたが、予想していたことをほのめかしました。 大村知事としては「河村市長に伝えない」ことが企画に口を挟まない、まさに「検閲」を防ぐ予防線であったと思われます。そうした意味で大村知事の対応は良識的、抑制的でした。一方で河村市長の行為は結果的に憲法違反とまでは言えなさそうですが、十分に越権的であったと指摘できます。ただ、会長と会長代行という関係で政治家同士であるならば、事前に十分に情報共有をして議論を尽くし、「河村さんもここはぐっと抑えてほしい」などと説き伏せることもできたのではないでしょうか。結局、大村知事の対策や想定は甘いどころか裏目に出て、脅しに屈した展示の中止という最悪の結果を招いたことは否めません。