“ナックル姫”吉田えり、野球部退団の真相 「引退じゃない」…32歳の現在地と“これから”
「神奈川にチームを作って、恩返ししたい」
吉田は決めた。「(野球を)辞められないなって思いました。ウェイクフィールドさんのようなナックルまでには投げられなかったですけど、これからも投げ続けなきゃいけないなって」。この出会いから約3か月後の10月1日(同2日)、ウェイクフィールド氏は57歳の若さで亡くなった。 「今振り返ると、たぶんお会いした時も(体が)しんどかったと思うんです。それでも時間を作ってくれて……やっぱりそういう思いがあるから、閉ざしちゃダメだなって。それを伝えに来た時間だったのかなって思います。だから引退って言葉を使いたくないんです」 選手であり続けながら、選んだ次の進路。エイジェック退団は今年8月に伝えたという。野球部の期末面談が行われる1週間前、たまたま兄・勇介さんと電話をしていた時にその思いを強くした。勇介さんが立ち上げた野球専門の室内練習場「tsuzuki BASE 」で働かないかと誘われたからだ。 吉田の心の中には「いつか神奈川で恩返しがしたい」という思いがずっとどこかにあった。自身が高校生の時、神奈川には女子硬式野球のチームがなく「もし(当時)あったら神奈川でプレーしていたかもしれません」。プレーする環境を求め、関西独立に入団。そこから地元に戻ることなく十数年の月日が流れた。
ナックルボールのような人生の終着点は「ストライクに収まってないかも」
2018年創部のエイジェックは、栃木県初の女子硬式野球チームとなり、当初は県外からの参加者が多かったという。しかし、徐々に浸透していく中で「地元選手が増えてきて、それがすごくうれしくて。地元でできると、地元の友達や親が見に来て応援してくれるので輪が広がるんです。地元に女子チームがあるって大きいことだなって。今、神奈川で(女子が)野球をしようとしても他の県に行かざるを得ないんです。だから、神奈川にチームを作って、恩返ししたいという気持ちが強くなったんです」。 「したい」「やりたい」。その思いに忠実に、真摯に向き合って行動してきた。だから彼女の足跡には“女性初”という肩書が何個も生まれた。そして、そこには失敗という概念はない。 「やったことに意味があるって思うタイプなので。去年米国に挑戦したのも普通に考えたら結果を残すのは難しいですし、ずっと女子の中でやってきて、急に男子の中でプレーというのはすごい無謀だけど、でもやらないと気が済まない。結果が出ないって分かってても、私はやって良かったと思えるので。今回もナックルを追い求めながら、その一方でアカデミーの普及や、女子チームを作る活動をするっていうのはなかなか無謀な挑戦かもしれないですけど……。でも、やりたいって思ってしまったので」 吉田の人生は、ナックルボールのように不規則に、そして大きく揺れ動いている。果たしてその終着点はーー。「アハハ、どこなんでしょうね。ストライクに収まってないかも。自分でも捕れないかもしれない。でも……きっとそれも楽しいですよね」。その瞳は一切の曇りがなく、前だけを見ていた。
新井裕貴 / Yuki Arai